「五月雨五句」正岡 子規
明治34年 一幅 35.0×47.4 紙本墨書
今、私たちは困難に直面することで「生きること」を実感します。この作の筆者である子規は筆まめなことでよく知られますが、苦しい病を療養する唯一の方法は「うまい物を喰ふ」ことであったといい、その克明な記録は、書くことが「生きること」であったことを思わせます。
そんな子規によって書かれたこちらの「五月雨」に連なる句は、新聞や雑誌で発表されたものを含む草稿です。同年の明治34年、自宅の庭に作られた糸瓜棚は「五月雨」によって瞬く間に「棚へとりつくものゝ蔓(つる)」となりました。やがて辞世の句に、その糸瓜は描かれます。咳をとめるための糸瓜は、結核を患い長い闘病生活を送った子規にとって身近なものでした。この「五月雨五句」は、子規が終焉に向かう様子を物語るのです。
俳句、随筆、評論など様々な分野に影響を与えた子規は、34歳の若さでこの世を去ります。しかしこの肉筆は、門人たちの想いとともに手から手へと大切に伝えられました(その詳細は「学芸員のブログ」28-2で紹介しています)。そういった背景を知ると、この作品を見る度に目頭が熱くなります。(学芸員 谷本真里)
五月雨や上野の山も見あきたり
病人に鯛の見舞や五月雨
病人の枕ならへて五月雨
五月雨や棚へとりつくものゝ蔓
さみたれや背戸に落あふ傘と傘