制服の衣替えに寄せて
残暑を越え、秋晴れが続くようになった頃、学校では制服の衣替えを迎えます。半年ぶりに袖を通す制服が少しキツくなっていて成長を感じる瞬間でもあります。
全国的には「制服無しの日」を実施したり、ジェンダーレスな制服が考案されたりといったニュースが聞こえてきます。あるいは男子がスカートを、女子がスラックスを選択する自由が認められるといった新しい風が吹き始めています。
さて、このように毎日着るものだからこそ見つめ直そうという動きもありますが、実は制服にはもう一つ「礼服」という機能があるのです。
冠婚葬祭のあらゆる場面で、児童・生徒・学生は「制服」が「礼服」と見なされます。これほど万能な一張羅を他に知りません。そして、礼服である以上「着崩し」は御法度という側面もあります。
普段の学校生活では、どうしても毎日周囲の仲間と同じものを着ているからか、アレンジや着こなしという発想に繋がりがちですが、個性を発揮する部分とは一線を画すものなのかもしれません。きっちり着ることで生まれる凜とした雰囲気や、整う気持ちも制服の機能と言えると思います。
これは先日のお話。舞台は初秋の上野恩賜公園でのこと。普段は東海地方に住む小学生の甥っ子が修学旅行で東京にやってくるということで、東京の伯父さん(私)は一目会おうと出掛けて行ったのでした。そして到着と同時に唖然とすることに。
そこには同じ帽子、同じ制服の小学生が一カ所に集まっていたのです。それもお行儀よく注意事項を聞いています。甥っ子のトレードマークである坊主頭も、真っ黒に日焼けした顔も見分けがつきません。
違いは……しましま靴下とカッコいい靴!甥っ子から事前に聞いていた曖昧な情報を頼りになんとか見つけ出し、一枚だけ写真を撮ることが出来ました。美しく揃った制服も、こんな時だけはなかなかどうして大変なものです。
■K太せんせい
現役教師。教育現場のありのままを伝え、読書案内なども執筆する。