田舎の隣家の兄(あん)ちゃんが、薪を割る手を置き呟いた。
「あの山の向こうだよな、母ちゃんがいるのは」。
立夏を過ぎたと言うのに山々には未だ白黒の絵の具で描いたような絵柄模様の残雪が残っている。その山麓の小さな村にこぢんまりとした有料老人ホームがある。そのホームに数年前の秋、私は母をおいてきた。
荷を運び終え、私が車で帰ろうとした時、右手を微かに揺らす母の姿が今でも鮮明に目に焼きついている。恐らく手を振り「ばいばい」をしたかったのだろう。同時にこれから始まるホームでの新しい日々に何があるのか、不安と寂しさの入り混じる複雑な思いを隠し切れなかったのだろう。しばらくして私の自問自答の日々が始まった。
母の「老人ホーム入所」という判断は間違っていたのではないだろうか、いや、そばにいるより専門の方のお世話になっていた方が本人のために
もいい、どうせ一緒にいても、もやもやした日々が繰り返されるにちがいない。本人はもちろん、家族の承諾も取ったのだから。でも・・・。
自分自身への言い訳に過ぎないような言葉ばかりが脳裏をかすめていく。そして年が明けた頃、何度となく「帰りたい、帰りたい」と言い、暴言さえ吐いていた母が静かに籐細工に励んでいた。
ガラス戸越しに見える母の背中からは、前とは違う何かがにじみ出ているようにさえ思えた。
この春には、老人ホームから近くの温泉の足湯を楽しむ様子が掲載された「ホームだより」が送られてきた。うれしそうに足湯に浸る姿に思わず安堵感を覚えたものだ。
さて、来週再び千葉から故郷に列車で向かう予定だ。母との僅かなひとときを過ごすために。深緑に彩られた老人ホームで相変わらずの日々を過ごしていることだろう。
隣家のいつもの兄ちゃんも声をかけてくるだろう。「母ちゃん、元気か」と。