[Essays/あの頃の僕らは]ー山田康太(ガンバ大阪)編

レイソルコラム

 「みなさん、『長い人』じゃないですか?自分なんて1年しかいなかったのに。いいんですかね?」

 取材の意図や、他に取材を予定しているメンバーを伝えると、少し驚き混じりにそんなリアクションを取った山田康太。

 「いやいや…1年しかいなかったから、何かが終わってないんだよ」とはさすがに言わなかったが、「とにかく、始めよう」という展開に持ち込んだ。

 多彩な魅力を持った選手だが、感受性の豊かさと言語化力が飛び抜けていると私は思っている。一度頭に浮かんだ言葉や考えを伝える、表現することを諦めないし、その頭の回転の速さはうらやましさすら覚えるほど。昨年までは何かあれば真っ先に呼び止める選手の1人だった。

 だから、迷いなく「オファー」をした。

 「いいんですかねー?じゃあ、いいっすよ」

 ノリもいい。

 川崎フロンターレ戦(10月18日Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu)の山田はベンチスタート。ガンバ大阪のキャプテン・宇佐美貴史と代わって、74分からの出場となった。

 対戦相手の状況や、G大阪が1ー0でリードしていた試合展開もあり終盤の起用となった山田の仕事は、ボールを持つことよりもボールを追うこと。現在の背番号への違和感はともかく、その「追い様」が相変わらず絵になる選手である。

 「外様の記者」にとって気になるのは、やはり山田が新天地・G大阪で担う役割やそもそものポジションについて。

 「開幕以降にシステム変更などがあって、今の形に落ち着いているんです。トップ下?…うーん、最初は『433のインサイドMF』で準備をしていたので『オフ・ザ・ボール』というよりも、『オン・ザ』の役割の中で、相手の守備と駆け引きをしながらゴールに繋がる仕事ができそうだなと思っていたんですけど、その後試合によっては1番前もやったりと今はすごく難しいんです。昨年と同じように、ここでも走り回っていたりしてますね(笑)。ただ、今年は接触系のケガに泣かされて、出たくても出れなかった試合も結構あって、そこは悔しいんですけどね。今日もケガ明けの状態ではあったし」

 持っているスペックからして、起用する側のアイデアを刺激する選手ではある。異なるスタイルを追求するチームの中で、己を突き通す強さが何よりのスペック。そして、常に前向きだ。

 「今年ここへ来て、練習をやってみても、やっぱり自分は『間』で受けてという部分は『やれるな、通用してるな』ってすぐに思えたし。ハードワークもそうですよね。あとはやはり日々のセッションの中からも自分の幅自体を広げられている感触はありますね。今よりダイナミックなものを求められたレイソルのスタイルから得たものもたくさんありますし、G大阪のスタイルでも自分はやっていけるなって自信はつきました」

 昨年も右サイドMFから始まり、2トップ気味の仕事もトップ下もこなした。攻守における貢献は大きなものがあった。カウンターの主役にもなれた。右にいながら、スルスルと「得意なエリア」である左へ左へとポジションを変えて良いシーンを生み出す勘の良さや大胆さも印象的。勝利のためならチームメイトに強い要求だって、口論だって厭わないタイプ。そこは今も変わらない。「外様」から見れば、「要するにパフォーマンス全体を評価されているのだろう」というところで腑には落ちた。

 G大阪が見せる高いインテンシティはこの日も随所に感じられた。それこそ、立ち上がりから好機を連発していたのだが、中谷も話していたように、山田も試合の締め方に言及。

 「ある程度のチームの型がありながら、『勝ちにいく姿勢』であるとか『戦える』こと。そこから前へ速くというような戦い方が自分たちの前半戦の良かったところとしてあって、今もそのいくつかがしっかり出ている試合は良い試合ができているんです。ただ、『走力』や『球際』が緩くなると、試合を難しくしてしまう。今日のように試合終盤で起用された場合にはそのあたりを補うつもりでプレーをしていますが、その時間帯や終盤の時間帯にうまくいかない試合が続いていることについては解決していかないといけない。今日のメンバー以外にも個性的なメンバーが揃ってはいるので、全員がもっとバリバリ働ければ、まだまだ順位も変わっていくものだと思ってやっています」

 G大阪と新天地での山田の現在地は理解できた。

 では、そろそろ「あの頃」について聞かせてもらうことにしよう。「いいんですか?」と山田が言う気持ちも分かる。つい昨年の話であるだけに。だが、私は山田の感受性に賭けてここへ来た。

 山田康太の「あの頃」ー。

 春先に注目を集めて、順風満帆に開幕を迎えたはずが、徐々にプレータイムが減っていった。いつも明るく振る舞ってくれていたが、何を思う?…そんなスタートではあった。

 「J2から柏レイソルへ加入した自分にとっては久しぶりのJ1でのシーズンでした。まずはチームを知ることもそうでしたし、自分が選手としてどのような立ち位置にいるのかをすごく知りたかった。『J1の中での自分の立ち位置』を。でも、さすがにJ1ですからね、『自分ができること』があったとしても、そこにはもっと上の選手がいるし、まずはチームのスタイルがある中で、自分の良さを出し切れず、貢献できずにいる時期が続いたけれど、コンセプトの理解を深めて、前線の中央で試合に絡めてからは良いものを出せたと思いますし、自分の感覚的な部分も含めて、『J1での自分が活きる場所』を理解できたのはあります」

 昨年、ピッチが遠のいてしまった際に、一度は「うーん、『自分って必要なのかな?』って思って、自分を苦しめてしまった」というところまで落ちながら、夏場に鮮やかな再浮上を飾る。

 自分を知るために加入したチームで、心が折れかかった自分に問いかけ続けながら、改めてチームを知り、また、自分を知った。

 1つ1つに折り合いをつける作業に手を焼きながら、長引く暑さの中で何かから解き放たれようとするように、ピッチをものすごい迫力で走り回っていた。そこで急停止をしても、質の高い選択をできた。そして、あの煌びやかなあの決勝戦へと一歩ずつ歩んでいった。

 「チームがちょっとずつ良くなっていくところ、強くなっていくところに関われたのは自分にとって大きかったです。『自分』というよりも…そこは大事にはしていましたけど、『このチームが常に1つにまとまって戦うことができさえすれば、結果って出るんだな』ってことを感じることができましたし、すごくシンプルなことなんですけど、そこを学んだシーズンでした。その後に天皇杯のファイナルにも進むことができましたしね。最初は『自分の成長』にこだわっていましたけど、『チームの成長』を肌で感じられたのは、24歳の選手としては今も大事な感覚だと思っていますよ、『1つの方法を知った』という意味で。『自分のやりたいことはもちろんあるよ、忘れてない。だけど、まずはチームのために。相手の嫌がることをチームのために』って。その忍耐の部分を身につけられたなって。『常に120パーセントで試合に臨むんだ』ということを」

 そして、最後に「山田康太のこれから」について聞かせてもらった。確かこれ、同じことを天皇杯の翌日にも聞かせてもらったような気もするが…といった野暮な気持ちはすぐにポケットにしまって。

 柱にしっかりと寄りかかりながら、話を始める。この人に気持ちのスイッチが入った時、会話中のブレスは極端に減る。もちろん無呼吸ではないけれど、感情を畳みかけてくる。運動能力と会話における腹式呼吸の関連性については専門外ではあるものの、さすが、あれだけ走り回れるだけのことはある。妙な納得をしながら、耳を傾けていた。

 「やっぱり、そのレイソルでの経験があるし、それを大切にしているつもりなので、G大阪でも『学びながら』、『成長しながら』は続けていかないと。今の自分をレベルアップさせていかないと。自分はまだ全然完成した選手ではないので、色々なことを知って、色々な感覚を捉えながらって毎日やれているので。楽しむことも忘れずにやっていきたいですね。日頃から(宇佐美)貴史くんを見ていて感じていることもあります。練習ぶりや姿勢など、まだまだ全然レベルは違いますけど、貴史くんからは『ゴール前で圧倒的な何かを!』って影響は受けている。昨年は0ゴールだった自分が、今年は今4ゴールも取れているので、そこの部分においては間違ってはいないかもしれないなって思っていて。うん、『新しいこだわり』が増えました。もっと良い選手になりたいです」

 誰に押し付けられるでもなく、自分が「良い手本」だと感じられる相手がすぐ近くにいることは素晴らしい。その「手本」に憧れ過ぎずに、「なりたい」とも言わず、その出会いを成長の原動力にできているところも山田らしい。

 きっと、山田の次の段階は走り回れて、試合を止めることめできて、ある程度のインテンシティの中でも決定的な仕事をしてみせる、そんな選手になるということなのだろう。

 そんな話をしていると、背後から身支度を整えた中谷が歩み寄る。「康太、もう、帰るぞ」と山田を捕まえる。絶対に噛み合うと思っていた2人だった。真剣な話の後に、ナイスポーズをかましてくれるあたりは期待通り。また、どこかで会うでしょう。

 さて、2年連続の天皇杯決勝戦、今年はどうでしょうね。ロッカールームに着いたら、いつも通りしっかりとバナナを食べて、120パーセントでがんばって!僭越ながら、今回の再会やこの取材記事がそんな山田への餞になればと思っています。

(写真・文=神宮克典)