[Essays/あの頃の僕らは]ー武富孝介(ヴァンフォーレ甲府)編

レイソルコラム

 2024年2月の国立競技場ー。

 「AFC Champions League 23/24」を戦っていたヴァンフォーレ甲府は韓国の雄・蔚山現代(現・蔚山HD)FCとの一戦に臨んでいた。

 11分に先制を許した甲府は、ベンチメンバーたちが体をほくしながらウォームアップエリアに集まり出した。その選手たちの列の後方に懐かしい「ハンサム」がいた。こちらに気がついたハンサムはかなり驚いた表情を見せたが、笑顔でサムズアップ。

 「アタル?」

 そんなことを聞くので、「江坂と君だ!」というアクションで返した。

 はっきり言って、控室で両チームのメンバー表を受け取った時にはガッツポーズしていた。確かに当初のお目当ては蔚山の江坂任だったが、甲府のメンバー表の中に「武富孝介」の名があったからだ。

 当時の出場傾向からして、江坂の出場は見込めても、武富のメンバー入りは「レア」だった。柏レイソル時代の武富はACLとの相性が良い選手ではあったので、少し納得もできたし、予感もしていた。個人的には江坂と武富が同じピッチの上に揃うことを夢見ていたこともある。

 そして、その時が来たー。

 ラウンド8進出へ向けて、ゴールが必要な甲府は61分に武富と三平和司を投入。事態の打開を図る。武富は右サイドから巧みなステップで蔚山陣内へ進むなど良い形で試合に入り、スクランブルの布陣だったとはいえ、センターMFでもプレー。終盤には武富のトラップを江坂が斜め裏から奪ってチャンスメイクを成功させるなどの「接触」もあった試合は、88分に三平がゴールを決めてスタジアムを沸かせたが、蔚山が強かに勝ち抜けを決めた。

 試合後の取材エリア。

 クラブの垣根を超えたサポーターたちの連帯が話題にもなった一戦。地元・甲府の方々をはじめ、たくさんのメディアが駆けつけていた。比較的足早に国立競技場を退出した蔚山の面々を見送ってしばらく経つと、「アタルはもう行っちゃった?残念。会いたかったな」と言いながら武富がやってきた。

 「なんとか出れました!自分がビックリしてましたよ。まさか起用されるなんて!やれることはやれました。ACLは2試合出てますけど、今日は『いい思い出』になりましたよ。これって引退試合かもよ(笑)」

 とにかく不運が続いていたようだ。確かに甲府へ加入する前から徐々に出場の報は減っていた。

 「見れるうちに見ておいた方がいいよ、もう先は長くないから!昨年は大腿部の肉離れを4回やってしまって。ちょうど30を過ぎてから、ふくらはぎも弱くなっているんで。大腿部はその前の年に3回。そのまた前にも4回か5回。コンディションは良いのに肉離れが頻発してしまうと、メンタルの維持がキツい。34歳には厳しいわってことばかり、今季は大変だな、毎試合が引退試合になるかもね。気負わずに、感慨もあるだろうし。当然、家族のことだってあるし。選手としての『需要』の問題もある。甲府が必要としてくれるのなら…ってやっています。色々な覚悟をしながら。でも、カテゴリーを落として続けるべきなのかは…ちょっと分からない。そこは『需要』だからね。それに自分はね、『コーチ』って柄でもないし、輪湖直樹が先になっちゃったからやらないかな(笑)」

 柏レイソル時代も何度か小離脱をしながら、ピッチに帰ってくるタイプの選手ではあったが、この受傷回数には少し驚いた。

 次に再会したのは7月だった。

 秋野央樹と田中隼人の取材で訪れた甲府のホーム・JITリサイクルインクスタジアムでのV・ファーレン長崎戦。

 武富はメンバー外。「そうか、まぁしょうがない」と移動を始めると、スタジアムの駐車場でバッタリと再会した。

 「長崎さ、秋野のプレーぶりも楽しみだけど、あの『レイソルの田中』だっけ?彼はいいね。まだあまり見たことがないけど、すごく興味があるよ。『レイソルアカデミーのCB』って感じがいいよね」

 この試合はJ1昇格争い真っ只中の長崎が意地を見せて、試合終了間際に追いついてドロー。白熱の一戦だった。

 試合後、何やら秋野と話し込む武富。この2人は昔から先輩後輩の垣根があまりないことを思い出した。グイグイいく秋野と受け止める武富という関係性がすごく懐かしかった。近況報告や大好物の噂話、オフの行き先の情報交換をしているようだった。そのタイミングを見て、田中も武富と初遭遇を果たして、自己紹介。武富から「いい選手だね」と言われて満足気だった。

 そんなこんなだったが、この日3人で撮った写真はお気に入りだ。

 その別れ際、武富を呼び止める。

 「まだ何も決めていないよ。ちょっとチャンスもありそうな気がしているし、自分もやれる気がしていてね。だから、また、甲府来てよ!あと1回(笑)!」

 まさかのおかわりだったが、せっかくだから考えてみようと思ってはいた。だいたいのストーリーは共有しながら、半年前の国立競技場とは全然違うことを言う武富を完全に楽しんでいたからだ。

 最後は11月の水戸ホーリーホック戦。

 J2リーグは一足先に最終節を迎えた。

 試合前に賑わうクラブグッズショップに立ち寄る。10分ほど並んでから即決で購入したのは、武富の「メッセージボード風うちわ」。2017年にレイソルゴール裏有志からいただいた「武富バースデー記念お面」も忘れずに持ってきた。

 甲府と水戸は順位的に直接対決ということもあり、両サポーターのテンションは高かった。水戸のベンチには柏から期限付き移籍中の落合陸がいた。落合はアカデミー時代、武富をアイドルの1人としていた記憶がある。

 試合は甲府が3ー1で勝利。メンバー外の武富はスーツ姿でメインスタンドからの観戦だったが、「シーズン終了セレモニーに出てくるであろう」という狙いで待機していた。

 セレモニーまでの時間で武富を捕まえる。「今日はどうしたの?カメラ持って」ととぼける。

 「タケが出なくてもね、水戸の落合がいるからな。落合は昔憧れてたんだよ、『いつもタケくん見てます』って。確かそうだった」

 私がそう話すと、武富はうれしそうな表情に。

 「知らなかったよ!よろしく言っておいてよ。『いい選手なんだから、長くがんばれ』ってね」

 そこから小一時間のセレモニー。

 武富はその間も様々な表情を見せた。こちらもその表情から色々なことを読み解こうとしたが、わからない。「武富!武富!」と手を振るサポーターに笑顔で応えた武富は一旦スタジアムをあとにしようとするが、寸前で阻止!

 結局、武富のプレーしている姿を取材できたのは2月の国立競技場の1回のみとなってしまった。柏時代は武富が選手としていちばん良い時のひとつだと思っている。レイソル初ゴールを今でも覚えているし、ゴール直後の「ある疑惑」に関しても、「泣いてない」とウソぶくところもよく覚えている。よく分からない位置でボールを受けて、鋭くよく分からないターンを決めて、素早く相手陣内をザクッと切り裂くことができる「稀才」で、家族が増えると、ゴールを決める「パパトミ」な一面。そして、常にフォトジェニックな「ハンサム」ー。

 「タケ、おつかれさま…」

 そんな気分で武富と話を始めたのだが…。

 「まだ『辞める』なんて言ってないし、そのつもりは今のところないですよ」

 その言葉を聞きながら、「おい、私の『センチメンタル』を返せ」と思ったが、「面白い。話を続けよう」と切り替えた。そして、やはり出てきたあの言葉。

 「やっぱり柏の時より物事へのモチベーションは絶対に変わってしまった。あとはやっぱり『需要』の問題?そこはもう『潮時かな』って思ってはいる。かといって、技術とかはあるし、プレーメイクもできるって思っているし、現実と自分に生まれているギャップはもどかしいところではある。『しょうがないよね』って気持ちもあるよ。ただ、『サッカー』って速く走れればいいとか、フィジカルが強ければいいってわけじゃないし、そんなのつまんない。結果優先で、結果だけを求める。そんなの面白くないよね。今後のサッカー全体の質が高まっていくといいなって気持ちは今もある。『速い・強い』はいいし、否定はしない。だけど、やっぱり技術でしょ。『時代は廻る』、『ゆり戻す』っていうから、またその時代が来るとは思うけどね。そんな時代になってほしいよね」

 需要から始まり、まさかの問題提起にまで話が及んだが、「やはり武富。いいぞ!」と感じた。さすがはユース時代に突如として吉田達磨氏へ向かって「今日からオレ、ドリブラーになるんで」と言い放ち、吉田氏に頭を抱えさせただけのことはある。

 そして、そろそろ話さないといけない。

 武富孝介の「あの頃」について。もうすでに語られている気もするが、続けていこう。

 今回の江坂任と中谷進之介、山田康太と続けてきたこのシリーズが「ファースト・シーズン」だとすれば、武富はそのトリを飾ることになる。でも、最初から薄っすらと決めていた。

 実際に会いに行き、話をして、「やっぱり、昔は良かったよね」というだけのノスタルジーに浸らないあたりが、彼らの素晴らしいところ。彼らが常に謙虚で、常に成長をしたいと考えている証だと知った。

 ただ、今回の3人とは立ち位置も違えば、見据える景色もちょっと違うはず。端正な顔はずっと変わらないがシチュエーションは色々変わった。どうなんだ、タケは?

 「やっぱり、『あの頃』の自分は今よりフィジカル的にプレーしていたね。もう、今はその部分は諦めている。言い方が悪いかな。今の方が上手さもあるね、冷静にプレーできるしね、バランスが取れた選手になったよ。今だったらレイソルに混じっても絶対できるよ!レイソルに言っといて(笑)」

 つい、「自分で散々『需要』って言ってただろ」と言いたくなったが、その言葉を飲み込みながら、「あの頃の武富孝介になんて言ってやりたい?」とアングルを変えた。

 「そういうことね。そうだなあ。『タケ。もうちょっと力を抜いてプレーをしてもいいと思うよ!』って言いたいかな。若かったし、なんでもどこへでも突き進んでいたと思うしね。『いつもさ、そんな無理しないで、ひと呼吸置いてみてさ、毎回試合に対してガッチガチになり過ぎないように』って…プロだし、そこはそこで大事なことだったって分かってはいるけど、今の自分が『あの頃』に言ってやれるとすればね、『タケ、もっと落ち着いて、もっと冷静に』ってことかな。そんなこと、言ってやりたいね」

 サポーターや選手と家族のための時間の中の取材だった。限られた時間の中だったから、「あと、興味本位だけで車を買ったり買い替えないように」と付け加えるのを忘れたが、「あの頃」についてだったこの話はふいに「永遠の友人」の話になった。互いの温度感は変わった。

 ちょうど三回忌を過ぎたところだった。

 一緒にロッカールームでレイソルのチャントを歌った。彼らが打ち立てたスペイン遠征の伝説はレイソルアカデミーの航路図のページ数を増やした。一緒にプロになった。少しの間、別々に歩んだ時期はあったが、また共に連帯して素晴らしい時を過ごした。とても愛された選手だ。誰が彼をどう弔おうと構わないが、私はその領域において適切な言葉を持たなかったし、私の腕では今もそれは難しい。だから、武富の言葉が必要だった。

 武富は言う。「ずっと、自分の中に『工藤壮人』はいるよ」とー。

 「もちろん、それはあるよ、あの日からずっとね。『あの頃』の彼はまだやれたはずだし、やりたくてもできなかった。そうなってしまった。工藤のその気持ち…きっと悔しかったはずだからね。自分たちはその気持ちも背負って続けていかないといけないって気持ちは持っている。その気持ちはみんなあると思うよ。もちろん、自分のサッカー人生の気持ちや考えの中での、『全て、100パーセントだ』なんて言えないけれど、常に自分の心の中にある気持ち…だけど、肝心の自分が今、どうなるかわからないから(笑)。レイソルや他のクラブも工藤のために何か動いてくれるのはうれしいことだし、選手レベルでもその動きがあることを友人として、うれしく思っている。自分も『ここでアイツならどうするかな…』って未だに思うこともあるしね。やりたくても、続けたくても、できなかった彼のことを思うことはあります。彼…工藤のためになんて言っていいのかは自分では決められないけどね、自分から言えるのは、『ずっと忘れずに、思い出してみてほしいです』ってことですよね」

 武富に会いに来てよかった。

 プレーする姿を見るのと同じくらいうれしかった。

 そして、気持ちを新たにするかのようにこう言った。

 「さあ、これからですよ!これからが大事。どうなるかはまだ分かんないけどね、また続けられるかもしれないし、うまくいかないかもしれない。サッカーを一度終わらせてみるかもしれないし、今は『完全にゼロ』の状態。結局は『需要』だからね、家族と話して、そこからだね」

 持ち込んだ「武富バースデー記念お面」で記念撮影もできた。お面は家族のみなさんに喜んでもらえてよかった。お子さんたちも「これ、パパ?」と興味を持ってくれたが、どうやらサインボードうちわの方が好みらしい。うちわを持った手を離さない。だから、託してきた。

 今回の「あの頃の僕ら」を巡る旅は予想していたよりも様々な方向へ飛躍を見せたし、最後はもう1人追加という着地を見せた。

 だけど、ちょっと思う。この前も言ったか。

 でもね、最後に言わせてもらう。

 武富孝介よ、君は「次の誰かたち」に何かを伝えるべきなんじゃないかって。その「需要」はあると思うんだよね。

(写真・文=神宮克典)