書の力 第七回 後漢 開通褒斜道刻石

書の力

後漢 開通褒斜道刻石(かいつうほうやどうこくせき) 1帖 拓本 

表具寸法39.9㎝×21.5㎝

成田山書道美術館

 中国中部で東西に伸びる秦嶺山脈(しんれいさんみゃく)は天府の地である四川と古都長安を長い間遠く隔ててきました。

漢代になり、4年間かけて山肌に桟道を整備、工事の詳細を石に記しました。これを開通褒斜道刻石(かいつうほうやどうこくせき)と呼び、写真はその拓本です。隷書体(れいしょたい)で刻された文字は細身で結構(文字の姿形)が大きく、気持ちの大きさが感じられ、素朴ながらも雰囲気のある文字として愛好されています。

 褒斜道(ほうやどう)と呼ばれるその道は、その後、難所ながら長安と巴蜀(はしょく)を結ぶ交通路として人々の生活を支えてきました。時を経て234年、蜀の丞相(じょうしょう)諸葛亮(しょかつ りょう)はこの褒斜道を抜け五丈原で、魏の名将、司馬懿(しば い)と対峙します。守り伝えられてきた書が何かを語りかけてくるようです。こちらの拓本は9月4日からの当館企画展「松井如流と蒐集の拓本」展で展示します。(学芸員・山﨑亮)

【釈文】

永平六年。漢中郡。(…以下略)。

(訳文)

永平6年(西暦63年)。漢中郡。(以下、どれだけ大規模な工事だったのかの内容が書かれています)。