「游藝(ゆうげい)」小坂(こさか)奇(き)石(せき) 昭和47年頃 一面 42.0×69.5
こちらは「ゆうげい」と読み、芸にあそぶことです。「藝」は「教養」と置き換えても良いでしょう。藝の字は、複雑な字画を連続させてひとおもいに筆を運び、特にかすれを際立たせています。一見勢いを感じるようですが、その線はなぐり書きのようないい加減さはなく、紙面に食いこむような、落ち着いた趣です。二文字の墨の質量や濃淡が異なるようでいて、その呼吸は一貫しています。
この作品を書いた小坂奇石は徳島に生まれ、その故郷や大阪・奈良を舞台に戦後の書壇を牽引した書家として知られています。書風は王羲之(おうぎし)や顔(がん)真(しん)卿(けい)、米芾(べいふつ)、王鐸(おうたく)(いずれも中国の名筆)などの古典を渉猟(しょうりょう:広く探し求めること)したその先に、墨跡の持つ気韻(きいん:気品や風格のある趣)を昇華させました。自らを「線の行者(ぎょうじゃ)」と称したように、書の本質を線に見出そうとしました。
墨跡(ぼくせき)とは筆で書かれたもの全般を指しますが、日本では禅僧の書を指すことが多く、禅林や禅の精神と結びついた茶の湯の世界で珍重されてきました。千利休により大成されたわび茶の世界では、茶室に短冊や掛け軸にした墨跡を掲げ、書の技巧のみならず、筆者の人間性をも含めて鑑賞してきたのです。
墨跡のもつ鋭い線には、書き手の力が沈潜(ちんせん:沈み隠れること)し、鍛錬による精神性が表れるのでしょう。「高い精神を高い技術で表出する」ことを理想とした奇石もまた、そうした墨跡に魅せられ、自身も書作への強い思いや姿勢をこの「游藝」に託したようです。ちなみに墨跡のような線質の力強さや奥行きは写真版ではなかなか伝わりません。線の持つ純粋な引力を、ぜひ実物を目の前に見て味わっていただきたいと思います。
成田山書道美術館では今月26日(土)より、こちらの作品を含む新収蔵の小坂奇石作品39点を初めて一堂に公開します。成田山公園を紅白に彩る「梅まつり」とともにお楽しみください。(学芸員 谷本真里)