「おつかれさまです!今日はわざわざありがとうございます!なんとか勝てました」
試合を終えたその足でこちらへ挨拶へ来てくれたのは筑波大学蹴球部の戸田伊吹。戸田は柏レイソルアカデミーから筑波大学へ進み現在4年生。
遡ること約2年半前。西陽が差す、とある冬のスタジアムの片隅で、戸田は唐突にこんな話をしてきた。
「実は…もう今季で『選手』を辞めることにしました。ずっと考えていたことでもあったんですけど、自分はいつかは指導者側に回りたいなって気持ちがあって、大学は辞めずに、筑波大学で指導者の勉強を始められるようです。正直言って、筑波への進学を選んだのもその可能性を感じていたからでしたし、そろそろ、そんな人材が出てきてもいいんじゃないかって思うんです」
そして「選手引退」から2年後の冬ー。
場所はまたスタジアムの片隅で、少し上擦った声色でこんな話をしてくれた。
「来年からはヘッドコーチをやらせてもらえることになりました。次の代もタレント揃いのチームなので、自ずと彼らの未来も担うことになるので、緊張もありますけど今から楽しみにしています」
先の天皇杯のテレビ中継でも話題になったように、戸田は今季からヘッドコーチとして筑波大の指揮を執っている。柏レイソルUー18時代はキャプテンを務め、CBながら技術的にもセンターMFとしての未来を予感させた選手だった。アカデミーを卒団後、田村蒼生と共に筑波大学へ進学。「確信的な選手引退」後、前ヘッドコーチの平山相太氏のサポートを経て今に至る。
彼らの主戦場となる「第98回関東大学サッカーリーグ戦 1部」では、6月時点で5勝1敗2分の2位に付けており、勝点3差で首位・明治大学を追っている。指導者として上々のデビューである。
6月19日、筑波大学は「アミノバイタルⓇ」カップ2024第13回関東大学サッカートーナメント大会2回戦・中央学院大学(千葉県大学サッカー1部リーグ所属)との試合に臨んだ。戸田はベンチからチームメイトたちのプレーに目を光らせた。
2023年の「関東大学サッカーリーグ1部チャンピオン」として臨む今大会。周到で見事な近代的可変システムや各所で数的優位を作りながらの攻守両面に目を奪われた。この日はBチーム中心の編成ながら、リーグ最少失点を誇る守備とタレント豊かな攻撃陣が見せる攻撃も見事なものだった。
「このチームには大学サッカー界屈指のタレントがいます。前線には内野航太郎や田村蒼生がいて、町田(ゼルビア)の外国人選手と渡り合ったDFラインだってあることは自分たちの強み。今季は失点を抑えられていることが特長なのですが、その反面、攻撃面のいくつかの課題の修正と向き合っているところです」
この試合は88分に生まれた田村蒼生のゴールで中央学院大を振り切った(3ー2)。
続く3回戦ではAチームを中心としたメンバーで関東大学リーグ2部の雄・順天堂大学を2ー0で下した。折しも天皇杯でのジャイアントキリングが話題となっていた格上の筑波大に対し、いずれの大学も下剋上を狙い士気高く、見事なパフォーマンスを見せたが、筑波大は組み合った上で上回って見せた。
戸田はこれまでのチームビルディングをこう回想する。
「きっと、自分が持っているサッカー観をそのまま持ち込もうと思えば、もっとこだわっていくこともできますし、やれることはたくさんあるとも思います。でも、このチームには『このチームの良さ』がありますから、そのベースに自分が思うエッセンスを薄く広く浸透させていくようなイメージがあります。あくまでも、まずはこのチームの良さがあって、それらを引き出すために、『一つの大枠』となる戦い方がある。今はその大枠に辿り着くために、『どのようなアプローチが必要なのか』というところで、自分の中にもサッカー観があって…という感じではあります」
ヘッドコーチの任務はピッチとシステムボードを見つめて声を掛けることやアンニュイなムードでピッチサイドを練り歩くだけではない。
筑波大学蹴球部では、戸田や大学院生スタッフを中心とした約30名からなるスカウティングチームが対戦相手たちの戦いを分析しているという。
「決して、人数が多ければいいというわけではないんですけどね」と戸田は笑っていたが、かつては自分もその1人だった。様々な角度から相手の戦いを見て、チームに伝えるべき最適な情報を吟味する。戸田に集まった数多の分析結果の中から、チームに最も必要なディテールを抽出して、チームに「対策」を落とし込むことは重要な任務。彼らは試合中に映像を切り取って、即時編集を施し、ハーフタイムの修正指示に反映することだってお手のものだという。
また、戸田以外にも数人の学生コーチやトレーナーがベンチを固めているし、主務や広報だって学生である。彼らはベンチサイドを忙しなく動いている。もちろん、常に真剣だ。
だから、戸田はピッチへ選手たちを送り出す際には様々なアプローチで下支えしたスカウティングチームだけでなく、たくさんの裏方たちの名を挙げながらチームに勝利を求めた。
しかし、自分たちではどうにもならない大きなものが目の前に立ち塞がる。「強豪」、「名門」が背負う宿命といえばそれまでなのだが、「過密日程」という敵は大学サッカー界でも猛威を振るっている。
「思っていた通りにはいかないです。もう全然(笑)!すごく難しいですよ。例えば、チームの課題修正に取り組んで、その後に良くなる…でも、それと同時に、また新たな課題が浮上して、さらに修正というような日々ですし、ここまで日程が過密になってくると、チームトレーニングに時間を割くことはまずできません。自分がミーティングであれこれ話したくても、聞いている選手側にも限界がありますから、そうもいかない。今はチーム状態を保つ、『チームマネジメント』の部分に時間と頭を割いているような状態。この経験は貴重ですね」
今、自分たちにできることをしっかりと見据え、自分だけでなくチームが、そこで得られたことを強かに力に変えている。そんな印象を放つ戸田との会話は先の「天皇杯」にー。
私が戸田に聞きたかったのは、香ばしく、けばけばしかったヘッドラインについてでもなんでもなく、「今季の筑波大学蹴球部がどのようなモチベーションを持って、天皇杯へと臨んで、町田からの勝利に辿り着いたのか?」だった。
「モチベーションとしてあったのは…これまで学生チームが天皇杯の中で、J1クラブを倒した前例はありました。それこそ、過去には自分たちの先輩である三笘薫さん(ブライトン)や戸嶋祥郎さん、高嶺朋樹さんたちの世代が大躍進している(第97回大会)。ただ、『J1首位のクラブ』を倒したという前例はまだありませんでしたから、そのチャレンジは天皇杯へ臨む上でのモチベーションとなりました。自分たちは『失うものなどないチャレンジャー』のマインドを持って臨んでいましたし、必ず達成したかった。全員が放ったベクトルが1つの方向へ向いて戦った結果、良いゲームができたと思います」
そして、次は柏レイソルとの対戦が待っている。
レイソル側へ持ち帰れる情報があるとすれば、「いったい『どの筑波』で来るのか分からない」とでも言うかもしれない。事実、昨年から取材した数試合の中でも、どれも異なる戦い方を見せていたし、「関東大学リーグ」と「天皇杯」、「アミノバイタル杯」という異なるタイプの大会を経てからの一戦であり、彼らにとっては大会と大会の間での十分な調整期間を経た上で迎える試合となるからだ。
10代の貴重な時間をレイソルアカデミーで過ごした戸田だが、そこはやはり筑波大学蹴球部のヘッドコーチ。「お世話になったレイソルに日立台で勝ちたいです」とは簡単には言わない。
「町田さんには町田さんが持つ特長があり、同じように、柏レイソルにも特長があって、それぞれのスタイルを持っている。また、このラウンドをどんなメンバー編成で臨んでくるのかもすごく重要な要素ですよね。ただ、どんな形で来たとしても、町田戦と柏戦、自分たちのアプローチは違ったものになるとは思います」
やや、時期尚早ではあったが、矢印を自分たちに向けて、余計なことなど言わない。ヘッドコーチとしてのこの振る舞いは100点満点だった。だが、話題が個人的な「ホームカミング・マッチ」のアングルとなれば、顔をほころばせながらこう話してくれた。
「柏レイソルは自分にとって特別なクラブ。2年前の天皇杯でも日立台で対戦をしていますけど、あの対戦ではアシスタントコーチの1人として、ピッチからではなく、メインスタンドからベンチのスタッフたちと交信する形で試合に関わりました。今回はベンチから柏レイソルと勝負することになります。選手たちが持っている能力をしっかり発揮できるよう、自分の持っているものをぶつけたい。そのための準備をして、真っ向勝負をしたいです。やるからにはまたジャイアントキリングを狙います」
さらにこの対戦は「筑波大学蹴球部」という文脈でも特別な意味を持つ。戸嶋や三丸拡、加藤匠人(福島)は昨秋、筑波大学第一グラウンドへ出向いて、後輩たちの優勝を見届けるなど、今も強い繋がりを持っている。
「井原正巳監督をはじめ、選手もチームスタッフにも多くの先輩方がいるチームと戦うことになりますし、よく知っている選手たちも在籍しているので、敬意を払った上で、自分たちが一生懸命に全力で試合へ臨むことが先輩たちへの恩返しになると思っています。胸を借りるだけでなく、大胆に戦いを挑みたいですし、こんな貴重な経験をさせていただいている小井土(正亮)監督にはとても感謝しています」
戸田が描く今後のビジョンは彼のもの。だから、ここでは取り上げはしないが、数多の人材を輩出はしてきた伝統を持つ筑波大学が日本サッカー界へ送り込む新たな人材として貢献してほしいし、私にも見たい姿がいくつかあるのだが、まずは7月10日の日立台での対戦を心から楽しみにしている。
奇しくもまた、スタジアムの片隅でそんな話を終えたところで、我々の近くを通りかかった小井土氏に「戸田伊吹、どうですか?」と問わせてもらうと、少し悪戯な笑顔を浮かべこう応えてくれた。
「いやぁ、いつもすごいんですよ、彼は」
派手な飾りなんていらない、「お墨付き」ってのはこのくらいがちょうどいい。
(写真・文=神宮克典)