文学の窓〈森鴎外メモリアルイヤー〉
今年も師走となりました。ここに来て「実は…」という話題で恐縮ですが、2022年は森鴎外の生誕160年、没後100年というメモリアルイヤーでした。
鴎外は10歳の時に島根県から上京し、以後半世紀を東京で過ごしました。特に30歳から60歳で亡くなるまでは文京区千駄木に居を構え、現在その跡地は「文京区立森鴎外記念館」となっています。記念館を中心に、区ではラッピングバスが走り、「鴎外を歩く」といったゆかりの地巡りが案内され、ロゴマークやフラッグが作られて街中に飾られるといった記念事業が盛り上がりを見せています。
さて、鴎外といえば本人の経験をモチーフにした二作品が有名です。
一つは『高瀬舟』。陸軍の軍医としてドイツで衛生学を学んだ鴎外が「安楽死」の問題に向き合った作品です。主人公の喜助は、病の辛さから自殺をはかって苦しんでいる弟を見つけ、涙ながらにとどめを刺し、その罪で島流しの刑に処せられます。高瀬舟は京都で実際に罪人を運んでいた舟のことです。この作品には鴎外の長女茉莉が重病にかかった際に直面した問題が重ねられます。
もう一つは「石炭をばはや積みはてつ」という冒頭が印象的な『舞姫』。主人公の太田豊太郎は国の命を受けドイツ留学をし、そこで一人の踊り子(エリス)と恋に落ちます。自由な気風と異境の地という環境で芽生えた「まことの我」を自覚する一方で、国や家の期待を背負っている自分を捨てきれず、最後にはエリスとの悲劇的な別れを選ぶことに…。
このエリスにはモデルが存在し、実際に鴎外を追って来日しますが、森家の説得によってドイツへ帰されてしまいました。『舞姫』はこの事件の1年半後に発表されたものです。
美しい文語調で書かれた『舞姫』。エリスが叫ぶ「我が豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺きたまひしか」(私の豊太郎は、このようにまで私を欺いておられたのか)という台詞に、「踊り子」ではなく「舞姫」の格調を感じませんか。
■K太せんせい
現役教師。教育現場のありのままを伝え、読書案内なども執筆する。