アリもキリギリスも豊かな人生を

子どもの広場 ゆうび

 先日、子どもに幼児雑誌の中にあった「アリとキリギリス」のお話を読み聞かせする場面がありました。働き者のアリは冬になる前、せっせと食べ物を集める。一方、キリギリスは気ままに音楽を奏でて暮らす。アリはキリギリスに忠告するが、キリギリスは聞かない。やがて冬が来て…という、有名な寓話です。


 昔から語り継がれているお話なので、いろいろな脚色のバリエーションがあり、結末もキリギリスが野たれ死ぬ物から、アリに食べ物を分けてもらい、お礼に楽器を演奏するといった物まで様々なようです。


 この雑誌の中のお話の結末は、キリギリスが飢えてアリに助けを求めに来た場面で、アリは「ぼくは食べ物を集めたほうがいいと何度も言ったはずだよ。それなのにきみはずっと遊んでいたね」と言い、キリギリスは遊んでいたことが恥ずかしくなる。そして、アリは「家族が多いから食べ物を分けることはできない」とドアを閉め、キリギリスは雪空の中をとぼとぼと歩いていくというものでした。


 この結末を小さな子どもに話すのを、私はためらいました。働かなかったのだから飢えるのは自業自得。野たれ死んでしまっても仕方がないと暗に伝えることにならないかと思ったからです。アリが家族を優先し、キリギリスを助けなかったことは責められることではありません。ですが、音楽を楽しんでいただけのキリギリスが死んでも仕方ないように描かれるのは強烈すぎる気がします。この世には死んでも仕方がない命などない。そして、その人の楽しみである芸術や遊びのようなものを辱めてはいけない、と私は思います。


 現代社会の問題と照らし合わせると、一生懸命に働いてもギリギリの暮らしであるアリもまた、犠牲者です。その苦しみは、働かない人、生産性がないと言われる人への攻撃に変換されていきます。子どもたちの大切な「今」の時間は、将来のためだけでなく、今この時を楽しむためにある。小さいうちから「自己責任」を教えるのではなく、アリもキリギリスもどの人も、かけがえのない人生を豊かに生きるために社会がどうあるべきか、子どもと話し合いたいです。


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