保育園で年少クラスのわが息子M。年少クラスになると体操の時間があり、その時間は皆、体操服に着替えて体操をします。しかしMだけはこれまで一度も体操服を着たことがありません。
一人だけ、登園したままの格好で体操をしているそうです。
なぜ着ないのか聞くと「体操服がいやなんじゃないの。おきがえするのがいやなの」と言います。普段は平気なのになぜか体操服だけ。
「園の決まりなのに…先生も困っているのでは…」とやきもきしていると、そういえば、先生から体操服を着ないことについて特段、話がないことに気づきました。Mも先生から「着なさい」と言われたことはないそうです。お迎えのときに私が毎回「今日も着ませんでした?」と聞くと「今日も着ませんでした。でも体操はとっても上手です」とにっこり。
Mはそのほかにもお昼寝用の布団は冬でも夏用のタオルを使う。お昼寝のときに皆パンツで寝るところ、一人だけパジャマズボンを履くなどのこだわりがあります。そのことを先生たちは困ったことというより、むしろMのいいところを話すように話してくれます。
Mのみならず、幼児期の子どもは自我が芽生え、個人個人の好き嫌いやこだわりがどんどん出てくる頃です。それを『成長』と捉え、可能な限り潰さず大事に見守ってくれているのです。
この先生たちの姿勢から多くを学ばなければと思います。誰のための決まりなのかという視点は決まりを守らせる側は常に持っている必要があります。決まりを守らせようとする気持ちが、どこか大人の都合や、根拠のない古い慣習、固定観念に裏打ちされていないか。
ここ最近では頭髪についての校則がニュースに取りざたされましたね。もちろん、子どもの安全や健康に関わること、社会の中でのマナーなどには配慮されるべきで、なんでもかんでも子どもの言い分を認めるということではありません。
しかし、誰にとって、どんな意味のある決まりなのか。そしてそれを今この瞬間、頑なに守らせることよりも優先されるべきことはないか。子どもに関わる大人は常に自問自答しておきたいことです。
(文=杉山 麻理江)
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