今年、日本製紙石巻硬式野球部に入団した丹呉響平選手(23歳・2001年4月10日生)は、松戸市立常盤平中学校出身。
4月14日に行われたJABA日立市長杯選抜野球大会のリーグ戦でホームランを放ち、早々に4番打者として存在感を放つ丹呉選手に話を聞いた。
◇少年野球に明け暮れた日々
「野球を始めたのは6歳上の兄の影響です。小学生の時に軟式野球チーム『常盤平ボーイズ』に入った時は捕手でしたが花形の投手に憧れ、監督に「投手をやりたい!」と言い続けて投手になりました」
常盤平中野球部ではエースで4番。中学3年時に県大会準優勝で関東大会準優勝、全国大会(新潟県)に進出した。
「中学時代の一番の思い出は、やはり全国大会です。みんなでいろんな所へ行けたのが楽しかったです。勢いで勝ち上がったチームでもあったので、緊張というよりは『負けたら終わりか』といい意味で割り切れていました」
◇投手から野手へ、葛藤
専大松戸高へ進学後、監督には『丹呉は野手として入ってもらった』と言われたが、中学時代に全国大会にも進出していた自信から、投手への未練は『ものすごくあった』という。
「最初の頃は投手と野手両方のメニューをこなしていましたが、同級生に後に千葉ロッテに入団する横山陸人選手や、他にもいい投手が2人いたので身を引き、野手の練習が主となりました」
高校3年春の県大会決勝は、選抜甲子園で準優勝した習志野高校に1点差で惜敗。高校3年の夏は「打倒習志野」を目標にチャレンジャー精神で臨んだが4回戦で敗退し、不完全燃焼だった。
「甲子園に出場できなかったのはショックでしたが、仲間と集まって『次(大学)で頑張ろう』と声を掛け合いました」
◇創価大から日本製紙石巻へ
「大学時代は、プロへ行けるような実力はないと感じ、社会人野球一本で進めていました」
紅白戦で死球を受け骨折し、3ヶ月間まったく練習できない時期もあった。 「結果が出なくて苦しい時は、ここで辞めたら親が悲しむ。親のために頑張る。野球を続けることで親孝行をする、と自分に言い聞かせていました。実際、私の野球をする姿を楽しみに、よく球場に足を運んでくれていました」
大学3年の春季リーグ戦まで監督を務めていた前監督と面談を重ね、日本製紙石巻への入団を決めた。
◇夢とこれから
「プロ野球選手になるという目標は持ち続けています。好きな球団は、千葉ロッテマリーンズと東北楽天ゴールデンイーグルスです。日本製紙石巻硬式野球部は宮城で活動していてチームの宮城愛が強く、私も宮城愛に染まってきました。仮にプロから指名がなくても、野球でチームに貢献し続けるのが第二の目標です」
(取材・写真=さとる)