イベリア半島の片隅で―小久保玲央ブライアン

レイソルコラム

「柏エフォートFC時代はFWで、レイソルのセレクションにはFWとして参加したので、そのまま入団していたら今のような状況にはなっていなかったはずです!松本拓也コーチ(現・大宮)が『GKで』とこだわってくれて…その話をUー18になって初めて聞いて、胸がいっぱいになりました。絶対に今とは人生が変わっていたはずだから」

 レイソルアカデミーのアライアンスクラブであるエフォートのFWとして柏Uー12と試合を経験していくうち、レイソルへの憧れを抱くようになった小久保玲央ブライアンは、小4以来2度目のセレクションで入団を果たす。平日はエフォートの快速FW、週末は柏Uー12の見習いGKという二足の草鞋を履く環境を経て、小6から中1のタイミングで正式入団を果たした。

 小久保の後ろでは常に松本コーチが見守り、ワンプレーずつ、声を掛けてGKの所作を植え付けていった。ボールの受け方や投げ方、ステップなど基礎の基礎から。最初は正面のシュートへの恐怖感があったというが、左右のエリアやPKに対しては美しい跳躍で弾き出してしまう。また、手足ともに左右で同じようにボールを扱えてしまう小久保はまさに原石だった。

「拓也さんから始まって、井上敬太コーチと吉川脩人コーチはゴールの内側にまで入って、自分を辛抱強く育ててくれました。時にはケンカ腰になったこともありましたが、出会えて本当に幸せですし、千綿友(青学)の存在も大きかった。手本であり、自分にないものを全て持っていました。人間性は叶わない。何度も自分を助けてくれました。今はもう正面のシュートだってバッチリですよ(笑)!」

 Uー15年代にレギュラーを獲得した小久保は2018年にカタールで行われた「アルカス・カップ」で大会最優秀GKとなり、現所属チーム・ベンフィカ(ポルトガル)のスカウトの目に留まることになる。大会の中でレアル・マドリーやパリ・サンジェルマンなどのユースチームを相手に圧巻の好セーブを連発し、大会後にオファーが舞い込んだのだ。

「最初に『ポテンシャルを評価している。ベンフィカに来ないか?』と言われてたように記憶しています。たぶん、日本でプロになっていたら、今のような実戦経験も得られず、周りや環境に甘え、純粋な気持ちでサッカーに集中できていなかっただろうと。だから、ベンフィカを選んだのは間違っていなかったと証明したいです」

 このオファーに対して、当時のレイソルアカデミーは「これはブライアンが掴んだ素晴らしいオファーですから、最終的な決断は一任しました」との見解を示していた。「進路について頭を悩ましていた時期でしたね」と当時を振り返った小久保は「アカデミー時代の自分の姿勢は甘かったと後悔しているし、オファーを受けた時は少しナメてました」と笑った。

「両親もレイソルも自分の決断を尊重してくれましたが、両親は特に不安だったはずです。18歳でしたから反抗期のような頃でもあって、あまり考えずに『行けるっしょ』って決めたところもありました。最初の数日は両親もリスボンへ来てくれていたのですが…1人になった途端に両親の偉大さを痛感したというか、『ずっと背中を押してくれていたんだ…』って。今は両親との些細な連絡一つでも大切にしていますし、オフになったらすぐに帰って家族と過ごしています。この冬は2日しかなかったですけど(笑)」

 郷愁は募るが、今いる環境は誰もが享受できるものではないことは本人が一番理解している。

 2020年8月には「UEFAユースリーグ2019/20」でアヤックス・アムステルダム(オランダ)やレアル・マドリー(スペイン)といった名門クラブと対戦。惜しくも決勝でマドリーに敗れたが、このような檜舞台で本場の育成年代最前線を知るとともに、自信と新たなモチベーションも得た。

 現在はUー23のGKとして競争の中にいて、トップチームの練習にも参加しながらも「危機感」を感じているという。独特のリズムやフィーリングでサッカーと向き合ってきた小久保にとってはこれまでになかった感情だった。原石はやっと本気になった。

「このリーグは現在のチャンピオンズ・リーグで常時プレーしているスター選手たちの多くが必ず通る『登竜門』的な大会で、すごいタレントばかりのレベルが高い大会でした。そういった大きな大会だけでなく、ベンフィカには2歳下に2m越えのGKがいたりと常に刺激的で、素直に『誰にも負けたくない』って思えるようになりましたね。こんな環境にいさせてもらえて幸せですし、絶対にトップチームのゴールを守るつもりです」

 191cmの小久保にとっても、2m級のGKは脅威になる。まるでバレーボール選手のようなGKが主流となりつつある欧州のモダンの中で、陸上選手のような体格の小久保はどのように戦うのだろうか。

「GKってどうしても背後のスペースが怖いものですけど、自分は他のGKよりスピードがある。だから、チームが高いラインを敷いても、背後のエリアをケアできるし、高い位置のまま広いエリアをカバーしながらビルドアップにも参加できますから、初めは苦労していましたが、今は自分なりに適応できていると思います」

 欧州のビッグクラブにビルドアップ能力に長けたタレントを続々と輩出してきたベンフィカ。適応には時間を要したというが、ここへ来て再び自分が持って生まれた能力と向き合った。10cm差を補って余りある先天的なバネやスピードを活かしたポジショニングやプレーに活路を見出しているという。

 なんせ、自分のことを考える時間や自分を磨く時間はたっぷりある。

「もう長いことロックダウンが続いているので、基本的にクラブと部屋の往復しかないサイクルで、サッカーに集中するしかない環境です。常にサッカーが1番になりますから、自分の考えや気持ちが日々研ぎ澄まされていく感覚があって、サッカーに対する愛情は増したし、1人の人間として成長できている実感がありますね」

 昨年末にはベンフィカで得てきた経験や思考を携えてUー20日本代表合宿へ参加。井上・松本両コーチも見守ったピッチでは小久保の声が響き渡っていた。その声はチームメイトの士気を高めるようなポジティヴな言葉が中心。特別なことをしなくても、その存在感は別格だった。

 「代表の中では自分が1番実戦感覚があるように思うし、今の代表はクールに振る舞うタイプの選手が多いので、感情表現の部分は意識していました。個人的な競争の部分で言えば、練習試合でも、もっと守備の機会が欲しかったというのが本音ですね。相手ボールになったら、『来い来い!』って思っていましたから」

 だが、合宿へ参加するタイミングで、あるニュースが飛び込んでいた。新型コロナウイルスの影響により、2021年5月に開催予定だったUー20W杯の中止が発表されたのだ。

 小久保はこの時の気持ちをこう話す。

「大会の中止は悲しかったです。多くの代表選手がそうであるようにベンフィカのチームメイトたちも大会で活躍して名を売ってステップアップする機会を失って悲しんでいましたね。自分も日本代表として強豪国と戦いたかったですし、『ポルトガル代表に勝つ』という目標があったので」

 待望の檜舞台は目の前から消え去ってしまったが、気持ちを切り替えた小久保は大きな眼を見開いてこう続けた。

「…だから、今は五輪代表にも興味があるんです」ー。

 同代表には2018年に一度選出された経験がある。そう公言する権利はある立場と言っていいだろう。

「…でも、『もう一つ上のステージで戦えていなければ信用は勝ち取れないよな』とも思います。前回呼んでもらえた時は自分の力を出し切れなかったですが、今はそれができる自信がある。素晴らしい先輩GKたちと競争したいです。こんなビッグチャンスは2度とないからどんな立場でも選ばれたい。大会の中で得られる様々な経験に興味があります」

 1人のアスリートとしての純粋な欲望を包み隠すことなく吐露した言葉には、遠くポルトガルで積んできた経験や自信を感じた。いわゆる「根拠の無い自信」の一種のようでもあるが、小久保なりの感謝の表現、その一種のようでもある。

「あんなヘタっぴGKだったのに、柏レイソルで育ててもらえて、ベンフィカに声を掛けてもらえて、今の自分があることを忘れたことはありませんし、ここへ来て大きな夢ができたことが自分を変えたと思います。敬太さんを始めたくさんの方々に恩返ししていくことも自分の夢の1つなんです」

 経験や自信はアスリートを変える。「よく周りから『大人になったね』と言ってもらえたりするんですが…そうですか(笑)?自分では分からないんです」と小久保も笑っていた。そして、最後にこう話してくれた。

「GKは息の長いポジションですから、まだまだ努力や挑戦を続けていきたい。そして、いつか日本に帰ってプレーしたいですね。日立台で?いいですよね!」

 多くの名GKを輩出してきたことで知られる古豪ベンフィカ。小久保はそれに続くことができるのか。何かをやってのける為に必要不可欠な人間的成長と伸びしろ、豊かな人間性に期待せずにはいられない。

 ベンフィカはこの程小久保との契約を更新を発表。契約年数はまだ残っていたが、更新を決めた。この事実は次の転機のイントロに過ぎない気がするかもしれない。

(写真・文=神宮克典)