一人の人間として包んでくれた母の存在

夢叶え人
愛犬めーこが癒しと話す水野さん

女性政治家として12年のキャリアへ 「水野ゆうき」さん

 2011年3月11日。 この日をきっかけに、水野さんの人生は大きく変わった。


 大学を卒業後、我孫子から都心へ勤務。 災害が起きるまで自分の住んでいる街に関心はなかった。行政に頼らざるを得ない、どこから得ればいいかわからない、生死をわけてしまう情報。震災によって、きちんとした情報を市民の人に届ける「情報行政」の大切さを知る。


 当時、水野さんは28歳。 周りを見渡せば、何十年も政治をしている大先輩ばかり。政治家のほとんどがどこかの政党に属しているにも関わらず、無所属での出馬。


 政治家という道を選ぶには、よっぽどの勇気が必要だったのではないだろうか。水野さんは笑いながら言う「若かったのもある。勢いもあったかな」


 無所属で市民のことを考える政治をしたい。どこにもしがらみなく市民のために働く人が必要だ。
そういう政治家がいてもいい。


 他の仕事を複数しながら議員という人もいるが、水野さんは議員一本でずっと仕事をしている。 それは、365日いつでも来る相談を一つひとつ対応しているからというのもある。


 ここ数年は市民の方から「水野さんに相談しておこう」と相談を受けることが本当に多くなったという。「通学路が危険だ」「道路が陥没してしまった」など、些細なことでも市民の人が困っている。それに対応でき、改善できたときに何にも代え難い喜びがある。


 正直、当時は無所属20代の女性議員ということもあり、嫌がらせなどもなかったわけではない。もうやめようかと迷ったこともある。市民の方からの「頑張れ」が重圧に感じる日もあった。それでも続けて来られたのは母の存在が大きい。


「そんなにツライならやめてもいいんじゃない?」 あっさりという。
 政治家水野ゆうきじゃない、個人として娘として見てくれる母の言葉に、水野さんは何度も救われた。
その言葉があるからこそ「やろう」という気持ちが生まれ続けた。


 これから先のビジョンを聞いてみた。
「政治をやらなければ見えなかった景色がある。悩んだり苦しんだり、困っている人に接したことによって社会の問題にもたくさん気づけた。政治でも政治でなくても、社会貢献できることをしていきたい」
やりたいことは社会貢献。
「肩書きなんてなんでもいいのだ」水野さんはそう言っている気がした。


●水野ゆうき
我孫子市出身 千葉県議会議員
無所属系会派「千翔会(せんしょうかい)」代表