中学から陸上部に入部した中島さんは、県中学新人駅伝で1区を走り優勝したことがきっかけで中学3年の春から長距離を本格的に始めた。
◆第69回東葛駅伝、10区を出走
県新人駅伝で優勝していたので東葛駅伝も優勝を狙っていました。結果は4位と悔しさが残りましたが、翌月の県中学駅伝は「絶対に優勝したい」という思いが強まりました。県中学駅伝は3区を走り、チームも2季連続で優勝できました。短距離時代は、冬場の長距離練習は苦痛でしたが、短距離を続けていたらトラックで全国大会に進出できなかったと思います。長距離転向の道を開いてくれた岡崎崇典先生(当時)に感謝しています。
◆市立船橋高校へ進学、2年連続で県高校駅伝優勝、全国高校駅伝に進出
高校2年時の県高校駅伝は7区(5km)を走りました。1位でタスキを受け、2位と約1分の差があり、伸び伸びと走れて優勝のゴールテープを切れました。区間賞も獲得でき、「今年は全国高校駅伝を走る」という気持ちで12月まで緊張感を持って練習に取り組みました。全国高校駅伝は6区(5km)14分53秒で区間10位。順位を2つ上げることができました。

◆高校3年時の県高校駅伝は4区区間賞も、2位で全国大会出場ならず
県高校駅伝は3連覇できると思っていましたが7秒差で2位。市立船橋高校は7区間中、5区間も区間賞がありながら最終学年で全国高校駅伝を走れなかったのは悔しかったです。男子長距離顧問の中村康先生(当時)は、選手一人ひとりに気遣ってくださり、中村先生でなかったら、ここまでの成長はできなかったです。


◆中央学院大で箱根駅伝に出場
中央学院大の川崎勇二監督から熱く声をかけてもらい、進学を決めました。全日本大学駅伝と箱根駅伝を走ることが最大の目標で、大学限りで陸上競技は引退すると決めていました。
大学2年時に全日本大学駅伝5区(12.4km)を37分00秒区間10位で走り、1つの目標は達成。大学3年時は9月まで怪我で低酸素施設に通い、箱根駅伝予選会はメンバー入りできず。この期間は苦しかったですが、支えてくれている両親のために箱根駅伝を走って恩返しをすることだけを考えていました。中央学院大は箱根駅伝予選会を7位で通過し箱根駅伝出場が決定。後の選考タイムトライアルで結果を出し、16人のメンバー入りをしました。12月29日の区間エントリーは補欠登録となりましたが「5区か10区どちらかで起用する」と川崎監督から話がありました。どちらの区間でも走れる準備をし、当日変更で10区(23.0km)を走りました。16位でタスキを受け、前も後ろも見えない中の単独走でしたが、東京の街を走れて1時間10分26秒の区間8位は大満足です。

◆箱根駅伝後に自ら退部を申し出、現在は消防士に
大学入学時に立てた目標を2つ達成し、陸上競技人生に悔いはありません。大学4年時の6月に就職活動に専念するために監督に退部を申し出ました。今まで培ってきた忍耐力や体力を活かしたいと思い、消防士を目指しました。筆記試験は独学で勉強し、面接はインターネットで調べて対策をしました。大学4年時に地方公務員試験に合格し、現在は某市に勤務しています。通常業務は書類の届出や消火栓の調査、消防に通報が入ったときに出勤し消火、救急車に乗り人の救助を担当しています。将来の目標は、消防隊、救急隊、救助隊の機関員(消防車や救急車の運転手)になることです。
(取材=さとる)