体育館に差した光 – マテウス・サヴィオ&片山瑛一&戸嶋祥郎

レイソルコラム

 柏レイソルが2007年から東葛地区で展開している学校訪問活動「レイソルしま専科」にマテウス・サヴィオが登場した。

 細谷真大と守田達弥、立田悠悟と秋晴れの柏市立田中小学校へ訪れたサヴィオは、「サッカーと学業の両立という両親との約束」、「父の夢を引き継ぎ、叶えたサッカー選手として」「柏レイソルでのタイトル獲得という夢」などについて話し、児童たちは目を輝かせて聞き入っていた。

 後日、サヴィオは初めて参加した「しま専科」の時間をこう表現してくれた。

 「あの『しま専科』の時間はすごく素敵なこと・すごく素敵な時間だった。私たちの言動は今や様々なメディアを通じて目にしてもらうことが多いけど、直接見聞きしてもらえるこの特別な機会に臨んだことが1人の大人、社会の一員として、『1つの良い例』となれればいいなと思うばかり。少しでもそうなってくれたら、とても良いふれあいが交わせたということになるのだと思う。我々サッカー選手はピッチの内外で彼ら彼女らの模範とならなくてはいけない。その意味で自分にとってもすごく良い経験になったよ」

 ピッチ上のサヴィオは、柏レイソルを愛する者たちにとってまさに「至宝」であり、「希望の光」。今回児童たちを前に見せた、優しく穏やかに問い掛ける「1人の大人」、「社会の一員」としてのサヴィオの姿もまた、児童たちの希望の光となってくれていたらと思う。

 また、その素晴らしい振る舞いからは「さすがはサッカー王国・ブラジル出身の選手だ」と思わされた。サッカー選手に集まる尊敬が日本を遥かに凌ぐ国からやってきたサヴィオは自らの価値をよく理解している。

 「オフシーズンに故郷のブラジルへ帰った際には地元にある障がい者施設などを必ず訪れて、たくさんの人たちと話をしたり、触れ合う機会をもらっているし、1人のサッカー選手として、人前で話をさせてもらう機会や経験は過去にもあった。子どもたちが様々な環境で育っていることも理解しているし、自分がなりたい姿や夢を持ちながらも、夢に追いついていかない厳しい環境の中で育っていく子もいるんだ。それでも、『夢を持ち、その夢を持ち続けることが大事なんだ』と自分なりに話をさせてもらっている。なぜなら、自分だってまだその過程にいる1人だからね」

 いわゆる、「ノブレス・オブリージュ」の精神に限りなく近く、それでいて”お高く止まる”ことなく、とても謙虚な姿勢でコミュニケーションを取る姿には強い感銘を受けた。

 その姿勢の真意をM・サヴィオはこう話した。

 「自分は『サッカー選手』という夢を叶えた1人として、自分の存在や自分の中にある実体験のどれかが子どもたちにとっての『何かの希望』になってくれるのであれば、このようなふれあいの機会の存在はとても尊いもの。自分の中にある『夢に向かう意志を持って生きていくことの必要性』を話せるは大事なことだと思っているからね」

 別れ際に選手たちの登壇を待ちきれない児童たちがM・サヴィオの名を叫びながら体育館へ走っていく様子や控室への出迎え役を担った生徒たちが緊張して順番を譲り合っていたことを伝えると、再び穏やかな笑顔を見せてメッセージを送ってくれた。

 「自分も彼らと過ごした時間は特別なものだったし、喜ばしいことだったよ。少しでも、みんなの『記憶に残る1日』になってくれていたらと思っているよ」

 私たちは本当に素晴らしい選手と歩んでいる。私の中にあるマテウス・サヴィオという人への尊敬や誇りはまた厚くなった。この素晴らしい人の存在やその思いをより多くの人に伝えたい。

 柏市立第八小学校を訪問した片山瑛一&戸嶋祥郎&ジエゴ&関根大輝も印象的な回となった。

 さすがはレイソルのホームスタジアム・三協フロンテア柏スタジアムの麓に構える小学校。レイソルのキットを着た児童たちが校庭を走り回っていた。

 この回は「キャリア教育」のアングルでトークを展開。サッカー選手やプロ野球選手、絵師、水族館付きの獣医…様々な夢を持つ生徒たちと向き合っていた。

 拓殖大学に籍を置きながら、レイソルでプレー。パリ五輪に出場して、サッカー日本代表に手を掛けんとしている関根はいわば『生きた教材』であるし、地球の裏側のブラジルからやってきて様々なクラブで活躍してきたブラジル人Jリーガーであるジエゴもまた「最高の手本」といえるだろう。

 その中でもダイレクトに『生徒たちに刺さっていたら…』と思わされた経験談を披露したのは片山と戸嶋の『教員免許取得者コンビ』だった。

 負けず嫌いで泣き虫だったがサッカーと出会い涙を見せなくなった少年だったという片山は勉強でもどんなことも自分ができるようになるまでやり続けることで乗り越えてきたという。例えばそれが「空中逆上がり」だったとしても。かつての泣き虫さんは努力の虫となって自身を作ってきたというエピソードを披露してから、「夢との向き合い方」について言及。


 「子どもの頃の自分は夢を抱いて、その夢に向かって突っ走っていくタイプではありませんでした。どちらかというと、地道に小さな目標を立てて、コツコツと積み上げていくタイプだったと思っています。いつか自分に夢が見つかった時にその夢に手が届くところにいられるのかは大切なこと。『もう自分には夢があるよ』という人はその夢へ向かって突き進んでいくべきだと思っていますし、まだ夢が見つかっていなかったり、たくさんあるんだよという人には、いつの日か『この夢を叶えたいな』と感じた時に、一生懸命にがんばれるように、今の自分をさらにレベルアップさせる時期になる。日々の努力や自分のレベルアップに充てる期間にして欲しいなって思います。そうすれば、『いざ、夢へ』となった際に大きく羽ばたくことができるんじゃないかって思っています」

 この『片山式』を聞き終わった際、私はこのコラムの追加を決め、同時に「あのころの自分」を恥じた。

 そして、開始前の昼休みの段階から校舎の何処かから「サチロー!」という歓声が響く中の「しま専科」となった戸嶋。


 児童たちの質問や発言に対しても具にリアクションや拍手を送り、この時間をより良いものとすべく励む姿はみなさんも想像できることだろう。その後、戸嶋が何気なく話したサッカー選手としての歩み。その中身には戸嶋のらしさが詰まっていた。さながら、「戸嶋祥郎ができるまで」といった具合に。

 「僕にはお兄ちゃんがいるんですけど、小学1年生の時にお兄ちゃんが通っていたサッカースクールに行ったことが僕とサッカーとの出会いでした。『自分勝手でわがままな選手』でした。小学校の低学年のころは負けず嫌いなサッカー少年だったので、試合などで、自分の思い通りにいかないと、チームメイトに文句を言ってしまったり、コーチのみなさんのせいにしたりする子どもでした。サッカーを続けて、小学校の高学年になるくらいの時に『仲間が大事。チームメイトを信頼しないと、自分も信頼されないな』と感じて、『チームワーク』を大切にしてきました。そして、僕がサッカー選手を目指したのは筑波大学でサッカーをしていた18から20歳くらいの頃なんですよね。ある時、コーチに『祥郎はサッカー選手になれる』と背中を押されたことがきっかけ。なので、僕は『サッカー選手』という夢に出会ったのも遅いんです。今日ここにいるみなさんにはまだまだ時間がいっぱいあって、たくさんの職業と出会うことができるはずなので、焦らずにかんばって欲しいって思っています」

 やや緊張気味だった関根はこれから先に、今まで以上にもっともっと豊かな経験値を得て、それを伝える機会や媒体が列を成す、その手始めがこの回だった。そんな想像をしているし、生徒からの質問に対して突然「ムズカシイネッ!」と流暢に返答して体育館をドッと沸かせたジエゴの愛嬌もこの回を彩った。

 いつの日か叶えたい夢が「サッカー選手」だったとしても、「パン屋さん」だったとしても。または新しい夢が常に生まれていくにしても。あるいは「サッカー選手とパン屋さん」を夢見るにしても、どんなきっかけや考えが彼らを支えてきたのか、学び多き回となった。


 今年残された「しま専科」もあと数回。古賀太陽や島村拓弥、木下康介らの登場が予定されている。

(写真・文=神宮克典)