髪色を明るく変え、サムライブルーのユニフォームを着た関根大輝が見せたカタールでの躍進。少し薄暗いスタジアムで放った、毎試合、今の自分を超えていくかのような輝きは今も私たちの目に焼きついている。
その関根について、話を聞きたい人物がいた。
「何なんでしょうね?…何て言ったらいいのか分からないものがあるんです(笑)。不思議な気持ちで試合を見ていました。『すごいなー』って感じだったんですよ。でも、セキ(関根)は賢い選手ですし、能力的にもそれだけのものがある選手なので」
そう話してくれたのは柏レイソルの李昌源(イ・チャンウォン)氏。
日常的にレイソルを取材している者にとっては韓国人選手たちの言葉を伝えてくれる韓国語通訳者だったのだが、韓国人選手が所属していない現在の李氏(以下、チャンウォン)のポストは、「スカウト兼サポートコーチ」。「関根を見つけ・連れてきた人物」でもある。
チャンウォンは「関根を見つけた」2022年当時を回想するー。
「セキを初めて見た時はいわゆる『偽SB(※)』的な選手で、攻撃参加というよりは中盤に加わってサイドの選手を上手く活かしていたんです。当時、セキは全日本大学選抜に選出されていて、同じく選出されていた落合陸(水戸)からも『良い選手ですよ』という推薦がありました。静岡学園出身で技術もしっかりしていて、CBの経験もあるので、『3CBでもやれるんじゃないか』と思って、練習参加を打診しました。その頃のレイソルは3CBシステムだったので。『右CBでどうだろう?』という考えでの打診でした」
※「偽SB」とは攻撃時にあえて攻撃参加せずに、ボランチの1人となり、中盤でボールを動かす役割に注力するSB
ただ、そのタイミングでは、大学サッカー界独特のスケジュールという問題が横たわっていた。関根は拓殖大学サッカー部の所属。当時の全日本大学選抜は、流通経済大学時代の熊澤和希などタレントが揃っており、練習試合ながら年代別日本代表チームに完勝するなど完成度の高いチームであった。「特別指定選手」としてのレイソル加入を関根に打診するにあたり、大学リーグだけでなく選抜や年代別代表も掛け持つ多忙な選手ゆえの「スケジュール調整」が最初の「ミッション・インポッシブル」だった。
「そこで再び大学選抜に選出されていたら、練習参加の予定を考え直さなければいけなかったのですが…メンバーを確認してみたら、セキは選ばれていなかったんです!あの時は『呼べるじゃん』って思いましたね…あと、噂レベルではあったのですが、『関根はどこかのクラブに加入予定』という話も耳に入ってはいたんです。でも、結果的にこれは誤情報だったんです(笑)。『よし!』って思って」
そして、複数回の練習参加が始まる。取材者としては、トップチームにいる「見たことのない若者」だった。その数日後に「特別指定選手」としての加入というプレスリリースが届き、同じ週のルヴァン杯・鹿島戦で早速デビューした。
3CBで戦っていたレイソルは4バックへシステム変更。関根に託されたポジションはオリジナルポジションの右SB。「見たことのない若者」はの正体は実に能力豊かなダイナミックな選手だった。
試合後には「伝統あるこのカードに出場できて幸せ。でも意識を変えなくてはいけない」と喜びと課題を語り、当時の立場(※)から、いずれ来る正式加入を見据えて、「25年に加入できた際には『関根はもう3年目の選手だ』と言われるくらいじゃないと」と輝いた目で語ってくれていた。
※2024シーズンより柏レイソルに加入
チャンウォンはこの試合についてこう話す。
「セキって持ってますよね(笑)。ただ、ルヴァンのデビュー戦の時はシステム的に右へ張り出すウイングのような役割を担っていたので、自分としては『セキは偽SBの方が…』って思ってはいたんですけど、問題なくやり切ってしまって。驚きました」
そして、チャンウォンは関根の能力についてこう話す。
「右SBとしてプレーをして、その前方にいる選手との相性をそれほど気にしなくていいタイプの選手なんだろうと思います。サイドでコンビを組む選手の特長によって、自分の判断を合わせられる選手なので。『セキは賢い』と思うのはそこですね…だから、ちょっと思うのは、『伊東純也と右で組ませたらどうだろう?』って思ってみたりもしました。あまりに飛躍的過ぎるかもですけど、『たぶん、今のセキなら上手くやりそうだな』って思ってしまいますよね」
確かにそうだ。カタールでの関根はアーリークロスに活路を見出したと思えば、右MFの山田楓喜(東京V)のために走ることを厭わず、時には内側から外側へレーンを移動しながらクロスを上げ切るなどの汎用性を見せ、かたや「中盤のプラス1」となってビルドアップに加わってみせた。
…その後に関根が歩んだストーリーは周知の通り。
関根に何が起きて、どう感じたかについては、多くの媒体で語られていることだろう。ちょうどこのコラムの一つ前の項で触れている。
帰国後の東京戦と湘南戦ではやや浮かない表情を見せた。
様々なことが頭の中を巡り、強烈な矢印を自分へ向けていることは、関根の表情を見ていればよく分かる。
「カタール」はもう過去のこと、鮮烈な残像の数々や一番綺麗なメダルと共に持ち帰ったのは成功体験と高まる意識、予想以上の注目度。数奇かつ豊かで超新星に相応しいスピードに満ちた歩みを辿ってきた選手とはいえ、ルーキーイヤーの選手に変わりはない。その一歩一歩が力になる。
ちょうど良い機会だ。
レイソルの「スカウト兼サポートコーチ」イ・チャンウォンが何をしてきたのか?についてを次項で記録してみようと思う。
(写真・文=神宮克典)