K太せんせいの放課後の黒板消し81

K太せんせいの「放課後の黒板消し」

 文学の窓〈お話の尻尾〉

 童謡、唱歌「紅葉(もみじ)」に「♪秋の夕日に照る山紅葉♪」とあるように、11月の声が聞こえると、夕日の色も山の表情もすっかり紅くなっていくようです。同じく童謡の「小さい秋みつけた」でも、3番に「♪はぜの葉赤くて入り日色…ちいさい秋みつけた♪」と歌われていますね。

 そしてこの秋の日暮れは「つるべ落とし」にたとえられるようにあっという間、すぐに夜が始まることから「秋の夜長」と呼ばれます。さらに、虫の音が聞こえ、落ち着いた雰囲気に包まれる秋の夜は昔から「読書の秋」として親しまれてきました。

 さて、読書の秋には時間を掛けて長編小説を読むのも一興ですが、比較的短いお話やエッセイを読むのもオススメです。 

なぜなら短い分だけ読者側に考える余白と深みがあるからなのです。たとえ一度読んだことがあるお話でも時間が経ってから読み直してみると、知っていたはずなのに新たな深みに気付くことがままあるというわけです。

 そして、それら文章の尻尾には一読目では「ん?」となる文や、皮肉や警鐘が込められたちょっと怖い文、はたまた思わず吹き出してしまうオチの台詞など、余韻をたっぷり楽しめる一文が見つかるはずです。

 宮沢賢治の「注文の多い料理店」の末文は「しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした」です。歪んだ顔が何を意味するのか、考えてみると恐ろしいものです。

 また、「ちびまるこちゃん」でお馴染みのさくらももこのエッセイ「風呂で歌をうたう」は「女心だけでなく恥もわからぬこの男(父ヒロシ)に、わたしゃもうついてゆけないよと思ったのであった」で終わります。一体何があったのか、末文だけでも面白いこと請け合いですね。

 「『百年はもう来ていたんだな』とこの時初めて気がついた」とは夏目漱石「夢十夜〈第一夜〉」の末文。夢が舞台の不思議な話は余韻もたっぷりです。

■K太せんせい現役教師。教育現場のありのままを伝え、読書案内なども執筆。