K太せんせいの放課後の黒板消し63

K太せんせいの「放課後の黒板消し」

 コロナ禍での成長

 出来なかったことが出来るようになることを成長と呼びます。一方で、出来ることが増えることによって生じる「困ったこと」もまた成長の一面ではないかと思う今日この頃です。

コロナ禍はなかなか収束へは向かってくれません。第6波はこれまでのどの波をも超える勢いを見せ、政府の蔓延防止措置は解除されたものの楽観は出来ず、先が見通せない状況が続いています。

学校現場は「不要不急」や「三密」、「緊急事態宣言」や「蔓延防止」などの言葉に、当初は緊張し、残念ながら今はそれらに慣れ、疲弊してきた第5波までの繰り返しの日々とは全く異なった段階に入っていると思います

例えば、クラスの中に陽性者や濃厚接触者がいたということが日常となっている現実や、休校ではなく「学級」単位での閉鎖による対応が行われるようになったこと。国内全体では「みなし」も含めて毎日何万人もの人々が感染する現状に、「いつ当事者になってもおかしくない」という意識が、今や自然です。 

また、オンラインによる授業や課題の提出が当たり前になりつつあることも、2年前にはなかった日常です。「今日休んだ○○君に、プリントを届けてくれるかな?」と家が近いお友だちにお願いする場面は、今や授業中にオンタイムでPDFファイルとして届きます。授業自体もリモートで見られるのですから当然といえば当然ですが、社会全体が、この緊急事態に対応していることはすごいことだと思います。

しかし、これら配信が技術的に出来たとしても、それを対面授業以上に活かすことが出来ているかは甚だ疑問です。正直、コロナ禍になんとか「対応」出来ているだけで、活用方法については未だ模索中なのです。

ところが、いつの間にか「当たり前に出来る」こととして、園児から大学生までが画面に向かい、教員もそのカメラの前に立っています。技術的には社会が成長したけれど、内容としてはどうかな?皆が問い直す時なのかも知れません。

「コロナ後」と呼ばれる近い未来、今作られた「当たり前」がしっかりと糧になることを信じて。

■K太せんせい現役教師。教育現場のありのままを伝え、読書案内なども執筆する。