沖縄戦の戦没者の遺骨を、40年以上に渡り収集し続けてきた具志堅隆松の姿を記録したドキュメンタリー。砕けて散乱した小さな骨、茶碗のひとかけら、手榴弾の破片、火炎放射の跡…。拾い集めた断片から、兵隊か民間人か、どのような最期をとげたか推察し、想いを馳せ、弔う。掘ってみるまで、骨が埋まっているかはわからない——それでも掘りつづける行為を具志堅は、観念的な慰霊ではなく「行動的慰霊」だと言う。
監督の奥間勝也もまた沖縄戦で大叔母を亡くした戦没者遺族である。しかし、生まれる以前に亡くなった大叔母とは会ったことがない。具志堅の遺骨収集に同行し、沖縄戦のアーカイブ映像に目を凝らし、大叔母の生きた痕跡を探す奥間は、繰り返しこう自問する。「出逢ったことのない人の死を悼むことはできるのか?」
監督の奥野と、骨を掘り続ける具志堅は、出会ったこともない人の人生を、痛みを想像する。それはいつしか、沖縄の歴史を見つめる行為へとつながっていき、過去と現在を隔てる長く大きな時間さえも浮かび上がらせる。
劇場の暗闇とガマの暗闇が溶けあったとき、もしかしたら時間や空間をも超えて、出会ったことのない人を想うことができるのかもしれない。
(キネマ旬報シアター 鈴木結太)