身近な薬の局所麻酔薬 ―開発の原点は意外なあのクスリ―
日本大学松戸歯学部薬理学講座 教授 三枝 禎(さいぐさ ただし)先生
局所麻酔薬は身近な薬
歯科治療の際に歯ぐきに塗ったり、注射したりする局所麻酔薬。歯科に限らず医療の場で広く使用されており、この薬を含む薬剤を胃カメラの検査の際に鼻からずるずる吸い込んだり、喉からゴクンと飲んだりしたご経験もあるかもしれません。
局所麻酔薬は「虫刺され」や「かゆみ止め」の塗り薬にも配合されていることもあるとても身近な薬です。痛みや痒みなどが起きた場所の神経細胞の興奮を鎮めるのが局所麻酔薬。神経細胞の興奮の基になるナトリウムイオンチャネルというタンパク質に多くの局所麻酔薬は結合します。このタンパク質の働きを局所麻酔薬が一時的に止めると神経細胞が興奮しにくくなるので、痛い・痒いといった感覚が鈍るのです。
局所麻酔剤を注射する歯科治療の直後にうがいなどをするとき、口の閉じ具合が心許なくなるのは感覚だけでなく口の周りの動きに関係する神経の働きも多少鈍るためです。こうした不便は、この薬の効果がなくなる数時間以内に解消されます。局所麻酔をした場所では痛みだけでなく熱い・冷たいといった感覚も鈍りますが、押されている感じなどは残り、不思議に思われるかもしれません。
とても身近な局所麻酔薬ですが、その開発のきっかけになったのは違法薬物のひとつのコカインだったと知ったら、さぞ戸惑われることでしょう。
局所麻酔薬の名前の秘密
コカインは、コカという植物の葉に含まれる化学物質(写真)。むかし南米のアンデス地方の山岳地帯では、コカの葉を噛みながら高所での重労働が行われていたそうです。酸素も薄い高山で重機もなしに石造りの立派な建物をいくつも建築できた理由の一つに、労働者が噛んでいたコカの葉に含まれているコカインの中枢神経興奮作用による気分の高揚や疲労の回復感があったと考えられています(「くすりの発明・発見史」 岡部進著 南山堂)。
コカインがコカの葉から単離されたのは19世紀半ば。この化学物質を口に含むと唇や舌の感覚が鈍ることに気づいた科学者(カール・コラー)が、点眼すると目でも痛みを感じにくくなることを1884年に発見。やがて塗布した部位だけでなく、注射器の応用で広い範囲の麻酔もコカインで可能になりました。こうした治療が普通になったのは19世紀後半のこと。コカインを使った無痛的な治療は画期的で、インターネットどころかテレビ・ラジオも普及していない中、瞬く間に全世界に広がったそうです。
コカインには中枢神経興奮作用のほか依存性があるので、20世紀に入りこうした欠点を克服した局所麻酔薬が化学的にいくつも合成されました。そのひとつが歯科でもよく使われているリドカインです。プロピトカイン、メピバカイン、○○カインと、いま歯科を含む医療の場で使用されている局所麻酔薬の名前の最後に「カイン」がはいっているのは、今は臨床での役目を終えたコカインにちなんでいるのです。
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※写真cap
コカErythroxylum coca(Wikipediaより)