東葛駅伝を走った選手たち-Vol.8 田邊 勇人さん(松戸市立第二中学校出身)

東葛駅伝

 小学校時代に、校内マラソン大会でほぼ毎年入賞していたことから担任の先生に勧められて長距離を始めた田邊勇人さん。

第64回東葛駅伝は2区、65回は4区を出走

 松戸市立第二中学校に入学し中学2年時に初めて出場した第64回東葛駅伝では、20人近く抜いて3区へリレー、力を出し切ることができた。

 「3年時は、10位以内の入賞をチームとして狙っていました。本番は、直前でメンバー変更があったのですが、誰が走っても確実に入賞できる自信がありました」

 結果、3位でタスキを受け、一時は1位に。その後、順位を7位まで下げて5区へリレー。「個人として悔しさと申し訳なさがありましたが、最終的に7位入賞ができてとても嬉しかったです。3年間の努力が実ったと感じました。東葛駅伝は、中学生が公道を10人でタスキをつなげることと駅伝直前の壮行会で駅伝メンバーを盛り上げてもらえることが他の駅伝にはない魅力だと思います」

第65回東葛駅伝7位入賞 前列右から4番目が田邊さん

市立松戸高校へ進学

 中学時代に尊敬していた先輩が在学していたことと、監督の菅原和幸先生(現流経大柏の監督)と声をかけてもらったこと、千葉県高校駅伝で上位に入っていたことで受験を決意した。

 「高校時代はスピードよりも長い距離の走り込みを重視した練習でした。高校2年時9月から11月くらいまで、練習で2km過ぎから疲れてきて走れない時期があり、そのときがいちばん苦しかったです。いろんな医者に行き貧血検査等も受けましたが、結局、原因はわかりませんでした」

 千葉県高校駅伝は、1年時は2区、高校3年時は5区と3km区間を走った。

2014年6月千葉県高校記録会 少年男子A5000m

教員を目指し、流通経済大へ

 箱根駅伝初出場まであと一歩というチームだったことと、教員免許が取れることで進学を決めた。

 「大学2年時は絶好調で、Aチームで練習を積めていた時期がありましたが、箱根駅伝予選会のメンバーには入れなかったです。理由は『5000mの持ちタイムが(監督が考えている)基準に達していない』ことでした」

 後に5000m14分台を出そうと意気込んだ記録会の直前にケガをしてしまい、記録会は欠場。3ヶ月まったく練習できない時期も。もとの状態に戻すまで1年近く時間を要した。

 「つらかったですが、同期が励ましてくれたり、中学、高校時代に知り合った陸上仲間が応援してくれていたことで4年間続けられました。初めての寮生活は、同期と楽しく過ごした4年間は最高の思い出です」

 夏合宿は1年時、先輩が寝ている中で下級生が上級生の洗濯物干しをした。2年時からは同期で「合宿時は自分の洗濯物干しは、自分でやろう。よくないと感じた習慣は自分たちの代で終わりにしよう」とルールを変えてチームの雰囲気はよくなった。

2016年1月鎌ケ谷新春マラソン一般男子10km

5回目の教員採用試験に合格、鎌ケ谷市内の小学校の教員に

 「陸上部を勧めてくれた小学校時代の担任の先生の影響を受け、『子どもたちの人生の選択のきっかけを与えられるような人になりたい』という思いから将来は教員になりたいと思っていました」

 大学4年時と大学卒業後はサポート教員をしながら教員採用試験を受験。高校や小学校を1年ごとに回り、大学卒業後3年間は不合格。4年目は今までと同じ勉強方法では合格できないと考え、睡眠時間を削って勉強時間を増やした結果、念願の合格を果たすことができた。

 鎌ヶ谷市内の小学校に勤務し、現在は2年目。陸上部の長距離顧問を担当している。

将来の目標

 「教え子から『先生に憧れて教師になりました』、『先生を目標に陸上を続けました』と言ってもらえるような存在になることと、卒業生が東葛駅伝を走るのを応援に行くのが目標です。走りの面では楽しく仲間と走り続けることです。高校3年時の鎌ケ谷新春マラソン一般男子10kmで3位がロードレースの最高成績です。その鎌ケ谷市で勤務しているのは不思議な縁を感じます。陸上部の生徒と一緒に練習できているので、いずれは鎌ケ谷新春マラソンで優勝したいです」

(取材・文=さとる)