書の力 第十六回

書の力

『印印』コレクションより

「室閑茶味清」 安部井(あべい)檪堂(れきどう)刻  3.5㎝ × 3.5㎝

成田山書道美術館蔵

安部井(あべい)檪堂(れきどう)が石に刻した「室閑茶味清」。「室(しつ)閑(かん)にして茶味(ちゃみ)清(すが)し」とは、静かに冴(さ)えわたる間でいただく一服のお茶の清々しさを謳(うた)います。

櫟堂は幕末から明治時代に生きた篆刻家(ハンコを作る人)で、明治政府の命を受けて天皇御璽(ぎょじ)・大日本国璽(こくじ)(国の重要文書に用いられる公印)を刻したことでも知られます。

近代は中国との交流が盛んになったことにより、日本でも篆刻の刻法や研究が進みました。特に、漢学の教養が幅広く共有されることになった江戸時代から、中国の士大夫(したいふ)(上級官吏の呼称)の教養が広まりました。篆刻はその一つです。

この印が収められている、日本の印譜集『印印』(前身の『同風印林』などを加えた84冊のコレクション)は、大正15年から昭和26年にかけて刊行されました。戦禍を免(まぬが)れ一揃いで伝わる希少本で、日本の篆刻界の様相のみならず時代観をも伝えます。

ご紹介した櫟堂印の持ち主・園田(そのだ)湖(こ)城(じょう)は同誌の生みの親で、戦後に日本の篆刻界を牽引した存在です。戦時下にもどうにか刊行を諦めずに続けた『印印』は、湖城の特筆すべき業績です。そこには篆刻に寄り添った人々の揺るぎない信条が表れています。

今日、戦争の惨さを痛感する日々が続き、尊い命とともに数多の文化財も失われていることは無念でなりません。「室閑茶味清」の精神で新茶をいただき、心を清め、人の和が育まれたらという思いです。衷心より世界平和をお祈り申し上げます。(学芸員 谷本真里)