口を覆うマスクが酷暑をより厳しく感じさせた夏が過ぎようとした頃、変わらず連続出場を続けていた古賀太陽。
鎌田次郎(相模原)に川口尚紀、山下達也らそれぞれのパートナーの個性を尊重しながら自らの能力を磨き上げていた。そこへ負傷から復帰してきたのは2020年新加入選手の大南拓磨。彼こそが「外的要因」だった。
高水準の速さと高さ、強さを併せ持った若きCB。2019年のトゥーロン国際大会・イングランド代表戦では日本代表として共にスタメン出場を果たした間柄でもあり、リーグ中断後の初夏まではDFラインを形成していた。
身体能力と危機察知能力が高く、ストロングヘッダーというスペック豊かなCBである大南が復帰後に運んできたのは、「刺激」だったと古賀は言う。
「近い年代の選手となると、中山雄太くん(ズウォレ)のような『先輩』はいましたけど、より身近な存在で、お互いに刺激し合える関係というのは拓磨くんがレイソルに来て、初めて感じた感覚でした。拓磨くんも『太陽がCBでプレーしている時、感じるものはあったよ』と言ってくれていますし、お互いに刺激し合える良い関係が築けていると思います。同年代でポジションも似ている点でも自分の中で比較しますし、良い刺激をもらえる選手だと思いますね」
まずは相手の攻撃を引き込みながら、相手の矢印の逆方向へ一気に攻撃に転じるような戦いが目立ったシーズン。ボールの奪い方やエリアなど3枚や4枚、あるいは5枚で編成されたDF陣のタスクは試合ごとに多岐に渡った中で、再び大南とDFラインに並び、その凄みに見せられた。今回、古賀と共有したのは大南の「後ろへの速さ」だった。
「自分はシンプルなボールで背後を取られていたシーンもあったと思うんですけど、拓磨くんはそれが本当にないので。むしろ、相手に蹴らせてしまいさえすればマイボールになるぐらい、後ろに下がる能力がすごい選手だと思っていて、守備的な、守備の部分の能力で言ったら、自分より上な部分がすごく多い選手なんだと感じています」
広域をカバーできる大南がスピードとボールへの高い執着心から相手に絡み付き、ボールを奪う、守備が整うシーンは毎試合のように見られた。その速さに連動する古賀の姿も然り。
また、共にピッチ上での口数は少なめに見えるが、帰陣の速さやポジショニング、非凡なビルディングアップの入口作りでの器用さも兼備する、類似した選手の少ない、モダンな天賦の才に恵まれたDF同士、目には見えない絆と競争心は芽生えて当然だった。
「年齢も1コ上で、ほぼほぼ同年代っていうのを考えると、ポジションが被ることはないにしても、『ライバル』…関係じゃないですけど、やっぱり刺激的な部分はすごくあって、『負けていられない。よりもっと上のレベルにならないと』と感じさせられる存在でした」
リーグ戦でのダメージが残っていた大南は惜しくも辞退となったが、共に年末の五輪代表強化合宿へ招集されるなど、その出会いを力に変えた。
すべてのスポーツ競技者がそうであるように、東京五輪本大会という在るべき到達点がぼやけては現れ、再びぼやけるような状況下にある五輪代表チーム。上田綺世(鹿島)や橋岡大樹(浦和)ら国内組のホープたちが集ったセッションの中、古賀のポジションは左SB。大学リーグ選抜チームとの練習試合では主力組でのプレーだった。
まるでショートパスのスキルを競い合うような攻撃と、大学選抜の速攻への対応という試合展開。古賀は慌てず冷静に戦況に応じてポジションを変えながらボールを捌くなど、らしさを発揮していた。
古賀が古賀らしさを出せるのはレイソルで積み重ねた経験や状況判断がもたらした「引き出しの数」があるから。「プレーの引き出しが増えた気はしている」という古賀は、瀬川祐輔や仲間隼斗、神谷優太ら同サイドでプレーする機会の多いアタッカーたちとの関係やポジショニングについてこう話す。
「優太くんの場合はボールを持った時が1番輝く、そういう選手だと思うんで、まず『スペースを与える』ことを考えながら、内側を取る機会が多いかなと。瀬川くんや仲間くんの場合には、自分が外を取って内側を走ってもらったり…一辺倒にならず相手によって選択や使い方を変えられていたのは、自分の余裕や成長できた部分なのかなとは思います」
個性豊かなホープたちの中にあっても古賀のプレーは安定していた。サイドに張り出して、アタッカーたちの特性に応じて内外のレーンを尊重することも、ボランチ然としたポジショニングからのアンダーラップやパスのハブとしてビルディングアップと切り替えを担った、いつも通りに。
今後の代表チームでのキャリアアップも期待してしまうが、そうなるといずれ立ち塞がることになるであろう選手がいる。そんな想像をしたくなる段階に差し掛かっている。その道のりが決して簡単ではないことは言わずもがな、なのだがー。
欧州組ひしめくA代表チームの左SBとして急浮上している中山雄太(ズウォレ)という壁だ。
古賀にとっての中山はレイソルアカデミー時代から「ずっと背中を見てきた存在」であり、中山の渡蘭前には直接「オレは行く。あとは太陽に託したからね」と告げられたという特別な間柄。充実のシーズンを過ごしたからこそ、聞きたかった。
「…困りますよね(笑)。今までは自分の中で『リスペクトの塊』の様な存在でしたけど、今は『超えなくてはいけない存在』です。やっぱり日本の左SBでプレーしていますし、『負けたくない、勝たなきゃいけないだろ』とは感じています。全てにおいて自分が勝っていないとは思わないですし、リスペクトも大事だけど、リスペクトし過ぎて戦えないんじゃ意味がないんで。先輩と後輩の関係だけじゃなく、良い意味で意識できるように変えていかなきゃなと。まずは同じステージでやれる選手にならないと…いやぁ、雄太くんなぁ(笑)」
プロ4年目が終わったー。
プロの喜びを享受した時もあった。高まる周囲の期待に怯えた時も、存在をやや軽んじられた時もあった。4年分のコントラストはなかなかヴィヴィッドだが、どんな時も思考に余白を持ち、凝り固まることなく物事を捉えてきた。DFというポジション上、成功よりもミスや後悔から多くを学び、何度も自分を律してきた。
「ここまで4年も掛かっているし、焦んなきゃいけない。縦パスの狙いなどは今年特別身につけたものではなく、育成年代から武器として、特長として持っていた技術。それを発揮できるようになるまで4年も掛かっているのは遅過ぎると思うし、スピードを上げてかなきゃいけない。今の自分には焦りも必要だと思います」
自陣でも中盤でも前線でも、イメージ通りのプレーを成功させた機会も増えた。4年分の手応えには自信があるが、立ち止まるつもりはない。
「まだまだムダも多いとは思っています。ブレのない安定感とかも大事ですけど、チャレンジするっていうモチベーションは失いたくないなとは思うんで…時にはムダも大事なのかもしれないですね(笑)。また、いろんな部分を吸収していきたいです。これからも型にとらわれずに」
今では良いことも悪いことも適切な距離感で捉えることができる。自らを律し続けるのは、その先に高い理想の姿があるから。
2021年、再び1月ー。
夕暮れ迫る国立競技場ー。
後半29分ー。
アバウトに転がり、少し跳ねたボールは古賀の足下をすり抜けて、相手選手の爪先を捉えた。次の瞬間、そのボールは自陣ゴールの中で転がっていた。古賀は歓喜に咽ぶ相手選手たちを見つめていた。
ストーリーはここからまた、はじまる。
(写真・文=神宮克典)