その為の今 ‐田中陸

レイソルコラム

「昨シーズンが終わって、自分の中で『勝負がしたい。試合に出たい』という気持ちが強く、柏レイソルを一度出る決断をしました。クラブ主導ではなく自分から、試合へ出ることと、特長を活かした上で成長できる環境を優先して考えてレノファ山口でお世話になることを決めました。スタッフの皆さんも快く送り出してくれました」

ジュニア年代からずっと着ていたレイソルのユニフォームからJ2山口のユニフォームに着替えた田中陸。強い決意を胸に期限付き移籍した新天地での出場試合数は31。レイソルでの出場数の3倍以上となり、主力選手の1人としてシーズンを終えた。

「山口はアグレッシヴで、パスも繋ぐ印象がありました。前へ蹴って走るスタイルのクラブよりも、戦術もあるし、自分の特長もフィットするはずだと」

実は山口からのオファーに思いを巡らしていた頃、田中はある選手に助言を仰いでいた。山口で名を上げ、レイソルで更なるチャプターへ駆け上がり、ベルギーへ巣立った小池龍太(横浜FM)である。

「山口を選ぶ段階で『龍くんのイメージ』はもちろんありました。自分は龍くんの背中を見て育ってきましたし、龍くんのイメージは決断を後押ししました。実際に龍くんも『経験を積むこと、成長すること。これに関して山口は良い選択』と言ってくれました」

山口は直向きで攻撃的なサッカースタイルや、小池をはじめとする多数の有望選手を育て送り出してきたことで知られる。咋季レイソルは2月の開幕戦と8月に対戦し、2戦2勝という結果こそ残したが、どちらの対戦も一筋縄ではなく、苦しめられた。また、柏レイソルアカデミー仕込みの「止める・蹴る」の技術を持ちながらハードワークで身を立てた田中と、山口の相性は上々だった。

「山口でも中盤やSBでの出場が多いのですが、今は頭の中が整理されていて、プレーする際に良い余裕が生まれてきたところです。考えてプレーを選択できるようにはなってきました。チームのバランスを維持したり、リズムを作ったりという部分は向上していると思います」

スペースを見つけ、ボールを受け、ターンする。その繰り返し。その感覚が懐かしかった。手応えを掴みつつも次のステップへの渇望はある。それは「目に見える結果」だ。

「ゴールやアシストがまだまだ足りていませんから、フィニッシュや、自分がボールを受けた時の展開などの質を上げていきたいですし、もっと前へ出ていくことも必要だと感じています。レイソルアカデミーで学んできたものやネルシーニョ監督の下で求められていたことなどが、山口で繋がってきたなという感触はあります。その蓄積があるから、山口での戦術が頭に入って、視野が広がった感覚というか、『あ、楽しい』って思って」

レイソルでの2019シーズンでは右サイドでクリスティアーノのインテンシティの前に全力で走らざるを得ず、試合後半には顎が上がっていた田中が現在「楽しい」という感覚を持てているのは山口での霜田正浩監督との出会いによるところが大きい。

「試合に対する準備や分析も含めて多くを学んでいます。霜田監督からは『どう守れば、どこにボールが出て、チャンスを作れるのか』という点への助言をよくもらい、実際にその通りになることが多いです。その為に必要な準備も相手の分析も、適切なポジショニングも事細かく伝えてくれます。昨年は精一杯で余裕がなかったのですが、今年は監督から『サッカーの仕組み』を学んで、どこで自分の長所を出すかとか、少しずつですが、プレーの幅や視野も広がった実感があります」

しかし、チームとして最も肝心な「結果」が出ないー。

田中の個人的な手応えと裏腹に今季の山口の成績は最下位。緻密さと思い切りの良さが同期した見事なオーガナイズからゴールを奪うシーンもあれば、相手の狙い通りに連続失点を喫する場面も多かった。山口の主力選手の1人として田中はこう話す。

「自分たちは良くも悪くも自分たちのサッカーができていますが、相手の攻撃への対応や状況に応じた判断が足りていなかったり、同じミスを繰り返し、どこをどのくらい修正するのか判断するところで時間がかかってしまった。気持ちの切り替えはできたつもりでも、焦りや勝てない辛さを味わいました。チームが苦しむ時にゴールに関わることでチームを好転させる仕事ができなかった悔しさは今もあります」

コロナ禍における超過密日程の影響や、「もう何回羽田空港へ降り立ったか分かりません」と苦笑いするほどの移動時間がチームの修正を阻んだ可能性は否めないが、田中は個人的な感触の良さをチームに還元できなかったことや、山口サポーターたちをあまり笑顔にできなかったことに後悔があるという。それは山口独特の「1勝の重み」を強く理解したからだ。

「サポーターの皆さんやチームスタッフの方々のレノファへの熱意や愛情には独特な一体感があるんです。勝っても負けても、温かい拍手で出迎えてくれるので今季の成績は本当に申し訳ない気持ちですし、こんな時だと、今まで以上に山口や柏、地元・白井市からの声援にありがたさを感じています。その声援に応えていけるよう、良いプレーを見せられるようにまたがんばります」

現在の長所や短所、収穫と課題、そして広がりを見せた未来のビジョンをはっきりと口にした田中。やはり若い選手にとって最も大切なのは実戦経験。それを通して芽生える責任感が血となり肉となっていく。

 「自分は『常にJ1でプレーする選手』になりたいです。今は『その為の今』だと思っているので、とても大切です。今はまだ全てにおいて力不足で、そこを補う為に出場機会を求めて山口へ来て、たくさんの試合に出るという部分は達成しています。今年の数字は数字として、今後の基準としたいですし、毎年更新していきたい。これからも長所と課題と向き合って克服していくだけです」

山口の地でシーズンを通して戦えることを示した田中が、この先どのような足跡をたどり、どう変わっていくのか。若手選手の活躍は決して「覚醒」などではなく、それまでの積み重ねがあるから。それを田中が証明してくれるはずだ。

写真・文=神宮克典