幼少期から空手と水泳を習っていた三宅さん。小学4年生から陸上競技を始めた。校内マラソン大会で上位に入賞したことが長距離走をはじめるきっかけになった。
◆中学3年時、第67回東葛駅伝で優勝
白山中に入学し陸上部に入部。東葛駅伝を走ることが最大の目標だったが、中学2年時は補欠登録で走ることはできなかった。「3年生で10区に選ばれた時は嬉しい反面、優勝を目標にしていたのでプレッシャーはありました。優勝のゴールテープを切れたことは、私の陸上競技人生で特に大きな出来事です。顧問の樋口清和先生(当時)はとても厳しかったですが、おかげで駅伝が好きになり勝ちへのこだわりを学びました。東葛駅伝の魅力はチーム力が活かされることと、1人のエースでは勝てないことです」。
◆東洋大牛久高校へ進学
いずれは箱根駅伝を走りたいという思いから、箱根駅伝強豪校の付属である東洋大牛久に入学。
「2年時に顧問が鈴木勝男監督(当時)に変わり、本格的な強化が始まりました。練習内容が厳しくなり、同期の部員は1年で半分以下になりましたが、個人種目でも駅伝でも全国大会に出場したい気持ちが上回り、辞めたいとは思わなかったです。夏休みの大半は複数の駅伝強豪校と合宿地で過ごしました。入学時には想像できなかったタイムを出すことができ、成長もできた内容の濃い3年間でした」。

◆鉄紺への憧れと苦悩
東洋大は入学前から有名な先輩も多く、同期も全国高校総体や国体の入賞者、全国高校駅伝常連校出身者が大半で、そのレベルに心身ともについていけるかという不安があった。
「入学直後にケガをしてから1年間は完治せず、箱根駅伝優勝を目指すチームへの存在意義が見出せなくなりました。陸上競技部に貢献できていないことに後ろめたさを感じ、2年に進級時に酒井俊幸監督へ退部を申し出ました」。
◆マネージャーへの転向
酒井監督からマネージャーへ転向の勧めと高校時代の鈴木監督からの後押しもあり、『マネージャーとしてチームの力になりたい』という思いが芽生えた。しばらくはマネージャーと選手を兼務し、地方の招待ロードレースへ帯同を兼ねて出場した。
「マネージャーに専任後は、レースに出場する選手の帯同や練習等の通常業務以外に入試前の入学予定者やその保護者と連絡を取り、入試から入寮、入学までの対応を行ったりしました。新入生の中には初めて東京に来る地方出身の子もいて、一段落するまで大変だった記憶があります。また、同期に強い競歩選手がおり、競歩の日本代表合宿に帯同しました。競歩選手が東京五輪に内定を得たときは、マネージャー業として、社会人になる前に必要なことを学べました」。

大学時代は、本当に苦しいことの連続だったが、支える側と支えられる側と両方の貴重な経験ができた。
「大学卒業後も定期的に同期のメンバーと会っています。同期や顔なじみの先輩後輩の出場する国際大会や各マラソン、日本選手権等の現地応援に行き楽しんでいます」。
◆今後の目標
現在は某大手不動産会社に勤務し、4年目の三宅さん。「粘り強い」「メンタルが強い」と社内で評判だという。「陸上競技を始めてから大学を卒業するまでに歩んだ経験が活きていると考えます。今後も仕事面で粘り強く突き詰めていきます。また、妹が某大学の長距離選手で、レースや駅伝の応援に行っています。それが少しでも妹の力になっていれば嬉しいです」。
(取材=さとる)