東葛駅伝を走った選手たち- Vol.1 髙見智志(明治学院大)

東葛駅伝
髙見選手=黒の長袖着用

 西原中陸上部時代は3年間東葛駅伝を走り、第70回大会で準優勝に輝いた髙見智志さん。先日は初めての東京マラソンにも参加した。今の思いを聞いた。


陸上競技を始めたきっかけ

 3学年上の兄が小学4年から陸上部に入ったのを見て私も走り始め、柏市新小学1年から柏市新春マラソンに出場しました。

東葛駅伝の思い出

 東葛駅伝は、兄が西原中陸上部で2年間東葛駅伝を走る姿を見て知り、私も走りたいと憧れていました。私自身は、小学6年時に柏市駅伝の小学校の部(5区間)で優勝しました。そのメンバーで「3年後は東葛駅伝で優勝しよう」と誓い、中学3年時の東葛駅伝は当時の5名全員が走り、準優勝でした。東葛駅伝は3年間走りました。(9区、3区、4区) 陸上人生でいちばん緊張したレースは中学1年の東葛駅伝です。先輩方の思いが詰まったタスキを4位で受け、とても緊張しました。順位をキープして10区へつなぎました。

第70回東葛駅伝 準優勝の写真

専大松戸へ

 実績のある選手が揃っていて、同期でも全国男子駅伝や全国大会を経験している選手が入ると聞いていたことと、中学時代に1年間お世話になった恩師の母校でもある専大松戸で走りたいという思いで専大松戸に決めました。

 中学時代は陸上部とサッカーのクラブチームを並行し、高校へ進学する際にサッカーにするか陸上にするか考えた時に、小学校の持久走大会で6年間すべて1位うれしかったことと東葛駅伝の大迫力の声援を受けて気持ちよく走れた経験から陸上一本に絞ろうと決めました。

明治学院大へ

 明治学院大は、当時、年々、箱根駅伝予選会の順位が上昇していました。第100回記念大会に合わせて箱根駅伝出場を狙うなら「ここだ!」という思いから明治学院大への進学を決めました。

陸上競技への思い

 小学校から大学まで通して、大きな舞台を経験できたこと、多くの気の合う仲間と出会えたこと、目標から逆算して行動する力がつきました。

 苦しい思い出は、高校時代は、3000mSCで全国大会を目指すも千葉県総体で6位と0.3秒差で7位になり、あと一歩で南関東大会に進出できなかったこと、大学時代はケガやハーフマラソンなどの長い距離へ順応できなかったことです。

 大学時代は苦しいことが大半でした。自身のことを後回しにしてでも指導に人生を捧げているコーチ陣や、私のやりたいことを100%応援してくれた両親への感謝の思いがあり、途中で辞めようという選択肢はまったくなく、大学4年の箱根駅伝予選会のメンバー入りを目指して最後までやり遂げました。

 記録を狙う競技としては箱根駅伝予選会で引退しましたが、ここまで積んできた練習の成果を「かたちとして残したい」という思いから11月につくばマラソンを走り、幸運にも当選した東京マラソンも先日、走りました。どちらのマラソンも沿道から多くの方々から声援をもらうことに喜びを感じ、改めて「陸上競技が好きだった」と実感できました。

はじめての東京マラソン

 父が第1回の東京マラソンを含め、計4回走っていて、子どもの頃から身近な存在でした。また、大都会を豪快に走るあの快感をぜひ味わってみたいと思っていたので応募しました。今回、東京マラソンを走ってみて、たくさんの方々に声援や応援をいただくこともでき、とても楽しい42.195kmでした。

大学卒業後の進路

精密機器メーカーで営業職として働きます。競技で鍛えた体力や忍耐力を活かし、バリバリ働きます。

取材=さとる(Xアカウント@all_kanto)