東葛駅伝を走った選手たち-Vol.10 三野鉄心(さんの てつし)さん(松戸市立常盤平中学校出身)

東葛駅伝
野球部時代の三野さん

 野球部に所属していた三野さん。練習の1つに持久走があり、走っているうちに少しずつ体力がついていくのを実感した。「中学3年時、陸上部顧問の蓑和廣太朗先生(当時)から駅伝部に声をかけて頂いたことがきっかけで、陸上競技を始めました」。

第71回東葛駅伝、8区に出走が陸上競技への転機に

 「(野田スタートの)8区は登りと下りがいくつもあり、ものすごくキツかったです。苦しくなった後半は、駅伝メンバーの顔が頭に浮かび、『自分自身に負けたらダメだ』と言い聞かせて半泣きで走ったことを今でも覚えています。東葛駅伝は10区間もあり、他部活の参加も多く、秘めた可能性を引き出せる大会だと思います。私が走った区間にクラスの友人や先生が沿道で応援に駆けつけてくれて、苦しい中でもうれしさが上回りました」

第71回東葛駅伝、8区を走る三野さん

 東葛駅伝の後、流通経済大柏の菅原和幸先生から練習会への誘いがあり、参加した。

「先輩方がとても優しく接してくださり、校内に芝とトラックもあり、環境も整っていたこと、1学年上に従兄弟も在籍していたことなどから『ここでならやっていけそうだ』と感じました。身長が高い方ではない私が、この先、野球で活躍するには限界を感じたことや、新しい舞台で頑張りたいという可能性も込めて陸上競技への転向を決めました」

◆高校2年の夏から寮生活

 「高校2年時に1学年上で寮生活をしていた板橋遼大さんが3000mSCで南関東大会に進出しました。先輩の付き添いをさせてもらうことになり、最初は体験入寮というかたちで寮生活を始めました。先輩が全国高校総体に進出する走りを間近で見て、『私も強くなりたい』と思いました。徳永孝太コーチと一緒に生活し、毎日の熱血な指導のほか、料理、洗濯、掃除など家事をすべて自分たちで行うので親元を離れて人間力も身につくと思い、その夏から卒業するまで寮生活を続けました」

2018年6月 千葉県高校記録会 少年男子B3000m

 競技面はタイムがあまり伸びず、チームに貢献できずに苦しんだが、引退後は卒業式直前まで練習を継続した。

「卒業間近に出場した柏の葉パークマラソン10kmを32分00秒で2位に入り、徳永コーチに少しだけ恩返しができたのはうれしかったです」

◆岩手の富士大学へ進学

 「『関東の大学へ行って出番が少なくなるよりは、少しハードルを下げて自分が輝ける場所で楽しみながら頑張るのも一つの道だよ』と徳永コーチに富士大を勧めてもらいました。お世話になった方の後輩として出雲大学駅伝に出場したいと思い、進学を決めました」

◆大学1年時に三大駅伝の1つ『出雲大学駅伝』5区を出走

 出雲大学駅伝には東北地方から東北学連選抜1チームが出場。通常の年は、開催年の8月上旬までに5000mのタイムの2本平均で上位8名が選ばれる。

 「私が入学した2021年度は、まだコロナ禍で大会が少なかったこともあり、5000mベストタイムの上位8名が選ばれました。私のベストタイムは15分03秒77で東北5番目に入り、5区を走りました。出雲大学駅伝は、高校時代にテレビで見ていた全国区の選手たちと一緒に走ることができ、とても貴重な体験ができました。また、常盤平中時代の先生方や友人、高校の同期から多くの応援のメッセージが届いたのもうれしかったです。高校時代の同期の中で三大駅伝デビューを最初に果たせたのが私になったのは、驚きと喜びがありました。富士大へ入学し、地道に頑張ってきてよかったと思えました」

2021年10月 出雲大学駅伝 東北選抜チーム集合写真 前列左から1番目が三野さん

 大学2年目以降は、周りの大学のレベルも上がり、怪我などで伸び悩んだ。岩手は11月後半から2月後半まで積雪量が多く、外で走るのは困難な環境。結果的に三大駅伝を走れたのは、冬場にいちばん練習が積めた高校3年時の成果を活かせた大学1年時の出雲大学駅伝1回となった。

 「富士大は部員数が少なく、地域の市民ランナーの方々と練習する機会が多かったです。社会人ならではの練習方法を体験でき、ローカルな駅伝大会などもありました。関東では経験できない多くの出会いに恵まれ、絆が深まりました」

 陸上競技は大学限りで引退する。

 「卒業後はフィットネスジムで働きます。スポーツを通してたくさんの人に健康になってもらうことやスポーツの楽しさを今までの経験を活かして伝えていきたいです」

(取材・文=さとる)