東葛駅伝を走った選手たち- Vol.3 杉崎翼さん(野田市立第一中学校出身)                    

東葛駅伝
10区を走った2021年の箱根駅伝

 小学校の持久走大会で3位になり、初めて自分の力でメダルをもらった嬉しさから陸上競技を始めた杉崎さん。野田市立第一中学校時代は野球部と駅伝部を兼部していた。


◇東葛駅伝の思い出
 第66回は6区、第67回は3区と2年連続で走った。家族や親戚、担任の先生、クラスメイトが大きな横断幕を持って沿道から名前を呼んで応援してくれた。「あの光景は忘れられません。東葛駅伝を走り、もっと大きな舞台で走りたいと思いました」
 駅伝部顧問の加瀬昇先生に「いい才能を持っている。絶対強くなる」と言われ、その一言が自信となり高校から陸上競技に専念すると決めた。

第67回東葛駅伝で仲間のタスキを待つ杉崎選手


◇文武両道を目指した高校時代

 今までとは違う環境で陸上と勉強を両立しようと考え、東洋大学附属牛久高校へ進学。4時に起床、始発の電車で登校し帰宅は22時という毎日を送った。自分で選んだ道だったが本当につらかった。「負けてたまるか」の精神で日々の練習に励み、夏は駅伝強豪校の佐野日大、國學院久我山、東農大二と1ヶ月の合同合宿を行い、格上の選手たちに揉まれて意識は変わっていった。

2016年の北関東大会、5000m決勝
2016年11月関東高校駅伝3区を走る杉崎選手


◇仲間と環境に恵まれた東京国際大時代
 大学駅伝界トップクラスの充実した設備とチームの将来性を見据え、東京国際大への進学を決めた。大志田秀次監督(当時)を始め、指導者やチームメイトにも恵まれた。後に世界で戦うような伊藤達彦選手やイエゴン・ヴィンセント選手と一緒に過ごせたことも大きかった。圧倒的な走力がありながらも地道に練習を重ねてチームを引っ張る姿を見て、とても刺激を受けた。


 「何よりも出会えてよかったのは、同期のチームメイトです。高校時代にライバル校だった水城出身の中島哲平選手たちと過ごせた大学4年間は宝物です」


◇下馬評を覆した箱根駅伝2年連続のシード権
 最終学年での箱根駅伝、主将の中島選手はケガで16人のエントリーメンバーから外れた。本人は悔しい思いをしているはずなのに、当日の朝「今までありがとう。最後は笑顔でゴールしてこい」と連絡が来た。嬉しくて『絶対にやってやる』と心の中で誓った。主将としてレースに挑み『中島のために』と腕に書いて10区を走った。


 「東京国際大はシード権を取れないと言われていた中、チーム一丸となって取った大学初2年連続のシード権は一生の思い出です。10区最後の直線で遠くにゴールテープが見えて、そこまでの道が光っているように見えたことは今でも覚えています」


◇野田市の発展に注力
 現在は、故郷の野田市役所のPR推進室に勤務。市報の作成やSNSの運営など、街の魅力を発信する仕事にやりがいを感じている。


 「野田市は令和5年4月に『健康スポーツ文化都市』を宣言し、スポーツや文化活動に取り組む街作りをしています。私も市内の小中学生に陸上競技を教えることがあります。興味津々に話しかけてくれる子や目を輝かせて走っている子を見ると、とても元気をもらいます。いつか私が関わった子たちが東葛駅伝で活躍し、箱根駅伝を走ることになったら嬉しいです」

(取材・写真=さとる)