昨夜はどんなアロマを焚き、どんなミストを寝室にまいて眠りについたのか、そんなことをつい聞きたくなるほどスッキリとした表情でキックオフ前のピッチサイドに現れた田中隼人。もう堂々としたのものだ。
しかし、そんな表情も一瞬のこと。すぐに眉間にシワを寄せて、「モード」に入っていた。
集合写真撮影が終わると、何よりも先に自分の「持ち場」へと歩き出す。自分の足下やピッチを眺めてから体を屈めて周囲をきれいにし始める。田中が育ったミナトSCで学んだちょっとした「儀式」だ。その後にコートチェンジがあり、真逆の方向へ駆け出していく。この日のフクダ電子アリーナはV・ファーレン長崎側から見ると、超が付くほどの「どアウェイ」の雰囲気。ジェフ千葉サポーターは高まっていた。
そういえば、柏ナンバーの私の車を見て、2度、「柏!」と叫ばれて驚いた。その威勢や良し。ただ、言われた側としては「柏!」の後に何を言いたかったのか…もはや、知る術もない。
それほどの高ぶりはすぐに理解できた。入り組んではうねる昇格戦線のクライマックスでの正義は勝点3以外にない。これ以上ない快晴と熱気、どちらも負けが許されない重要な一戦の舞台は整った。
…いきなりだった。いきなり驚きがあった。
開始早々、長崎はPKを獲得した。なんとその場所はキックオフ前に田中が「儀式」をしていたエリアだったからだ。
長崎はこのPKを沈めるも、千葉にFKから同点を許す。田中はファーサイドを任されたがゴールはニアサイドから生まれた。このまま前半を終えた。だが、キャプテンの秋野央樹がベンチスタートだったことはこの日の田中にとってはむしろ良かったのかもしれない。
「今日の試合はとにかく『守備』。守備のことに集中していました。千葉の前線には小森飛絢選手というFWがいるので、彼に仕事をさせないことに集中していました。彼の特長はある程度把握して臨んでいました。例えば、『セカンドボールからのゴールが多い』とか『シュートのこぼれに飛び込む』とか『オフサイドラインで上手く体を当ててくる』とか。全部頭に入れた状態で、絶対にやらせないつもりでした。マッチアップする場面も多かったですけど、その仕事はこなせたと思います」
田中は千葉のエース・小森に徹底的にまとわり付いた…というわけではないが、小森を見つけるとコースを切る、体を預けるなどの駆け引きで行く手を阻んだ。両者が醸したサイズ感やスピード感、バッチバチ感は圧巻だった。
「今日の試合は特に『自分のポジションを彼に外されても必ず止めること』と言われていましたし、今日の対小森選手に限らず、デュエルの感覚や自分の守備の形が増えてきた。そこはずっと意識をして取り組んできたし、成長していると思います」
右CBのヴァウドやGKの若原智哉らを声やアクション、何より力強い対応でサポートする姿は田中らしさではあるものの、その回数や語気の強さには成長を感じずにいられなかったのは事実だが、日頃から細谷真大と対峙していたんだ、この日のような対人守備の強さはアベレージで出せていい時期だとも思う。
「シーズンの夏場はかなり苦しみましたけど、チームは良い状態を取り戻して、それを維持できていると思いますし、自分自身も良い状態にありますね。春先のパフォーマンスに近い内容を残せている気がしています。チームの結果が付いてきてくれていることもうれしいですね」
長崎の前線には田中からのロングボールをしっかりと収められる大型選手がいる。強めのグラウンダーのボールを放っても、スルッとターンできる選手も、同サイドにも対角のサイドにも突破に長けたアタッカーが揃っている。数m前にいる秋野との関係から相手の陣形を歪めて、田中から良質なボールを放つ場面は見どころの1つだった。
そのたびに思い出す言葉がある。
「隼人は自分の…『推し』ですね。隼人のプレー集ムービーが欲しいくらい(笑)」
その言葉の主は柏レイソルのキャプテン古賀太陽。柏Uー18時代の田中のプレーを食い入るように見つめていた古賀の姿は今も忘れられない。
さらには「もっとキャリアの早い段階でプレーさせてあげても良かったんじゃ…って思いつつ、自分が隼人の得意なポジションにいるので、気持ちは少し複雑なんですけどね…」。そのように丁寧に前置きをしながら、「推し」についてをかなりの熱を込めてこう解説してくれたことがある。
「隼人はナチュラルな左利き。プレー全体の質が高くて、体も強いし、スプリントだって速い。1番の魅力はボールを前へ運びながら、ワンステップでサイドチェンジや対角の奥までボールを蹴れるキック力、足を振れてしまう特性。これはすごく羨ましい能力なんですよ。隼人が持っているそういった能力や将来性を思うと、『左CBでプレーする自分が他のポジションでプレーした方が隼人の未来にとっていいんじゃないか?』って、真剣に思うことがあるくらいですよ(笑)。昔の自分と比べたら、『レベルが違うわ…』って思わされます」
育成年代や年代別日本代表の中で古賀が語ったその片鱗を見ることはできた。長崎でプレーする今季、そのプレーをしっかりと見届けるうち、田中が備える様々な能力は「片鱗」の領域を超えようとしている気がする。やはり選手としてフルシーズン稼働する経験は何にも変え難い。
田中も田中でシーズン中に古賀の名を出しては、「本当にすごい人です」を敬意を示す機会は多かった。そして、この日も。
「1年間やってみて分かったこと…前も言いましたけど、『こんなにもキツいのか…』ということですよね(笑)。少し足を痛めていた頃もあって、『太陽くんも言わないだけで痛めてるのかな』なんて考えたりもしたんですけど、太陽くんはやっぱりすごいです。まさに『鉄人』ですね。試合に出続ける際、精神的にも体力的にも感じたキツさはすごく勉強になりましたし、自分なりにチームを代表して多くの試合でプレーする責任感も学んだつもりです。そこはカテゴリーは関係ないかなって思います」
古賀にとっては「推し」で、田中にとっては「指標」だとしても、そろそろ、「ライバル」や「競争関係」になっても面白いし、左右のCBを組んでも魅力的だ。CBの枚数が増えるケースだってあり得ない話じゃない。その場合、田中が持つ豊かなスペックはまた違いを放つだろう。
だが、その前に片付けないといけないことがある。
もちろん、それは長崎のJ1昇格だ。
「今年、『試合に出たい』と長崎へ来て。監督ともやりたいサッカーを共有できて、ほぼスタメンでたくさんの試合にも使ってもらっている。ただ試合に出るだけではなく、結果も付いてきた。今は昇格を狙える3位という順位にいる。長崎に来てからずっと『必ず昇格を』とやってきましたが、ここまで現実的になるとはと。今は充実していますし、楽しいです。しかも、長崎はサポーターだけでなく、長崎県全体で昇格へ向かっている真っ最中。その中にいる選手として以上の大きな責任感も感じています」
チームバスの出発が迫る中の短い時間の取材ではあったが、コンパクトで良い会話のラリーが交わせた。このあたりも田中の良いところだったりする。そして、田中は最後にもう一度こう言った。
「期限付き移籍ではありますけど、長崎へ来てよかった。ここまでは充実したシーズンを経験できているので楽しいです。最後までがんばります。ここからなんで」
長崎のチーム全体にこの日の時点で、逆転での2位での自動昇格への色気はなかった。その潔さの源は自信から来るものなのか、チームで共有したものなのかは分からない。足並みは揃っていた。
全てのチームメイトや長崎サポーターの願いを乗せたボールがゴールネットを揺らした直後、まるで自分がゴールを決めたかのように全速力で自陣へ帰って来る姿に充実感は溢れていたし、試合終了のホイッスルの直後には何回か大きな声で吠える田中の姿を初めて見た。
スペックやポテンシャルに満ちたプロスペクト選手に、ようやく魂のようなものが宿り出した。リーグは田中へのヤングプレイヤー表彰のタイミングを焦ったと思うほどCBらしくなった。そんな気持ちだった。
さらに最後にもう1つだけ付け加えるとすると、この試合のラストプレー、千葉のクロスが逸れて行ったエリアもまた田中の「儀式」があったエリアだったことはここに残しておきたい。
実は長崎の4回目の取材でようやく見られた「勝利(※1勝3分)」に特別な記憶を付け加えてくれたことに感謝して、この原稿を終える。
既報の通り、長崎の今季のストーリーは「プレーオフ」というチャプター(12月1日vsベガルタ仙台)へ。オウンゴール?それは記録上の話じゃないか、今でよかったじゃないか、次は遠くへ蹴り上げろ。
田中と秋野、長崎というクラブのこの先に幸あらんことを!
(写真・文=神宮克典)