セカンド・カミング ー手塚 康平

レイソルコラム

 8月5日、柏レイソルはMF手塚康平の加入を発表した。手塚は4年半ぶりのレイソル復帰となる。

 手塚といえば、2017年から2018年にかけての美しい記憶が今も鮮明な左利きのMF。パスの能力に秀でた選手で、スペースを見つけ、ボールを受けて、また良質なパスを放つ選手。

 プロデビュー戦でのスーパーゴールや約束されたかのようにゴールネットを揺らしたFK。数にして、3つ4つのゴールに過ぎないのだが、他者とは異なる価値を示してきた選手。もちろん、そんな選手だから、たくさんのサポーターから愛された。

 また、レイソルアカデミーには卓越したパスを放つMFとして鳴らしていた手塚が、トップチームではパスやビルドアップだけでなく、ゴールでも注目を集めてみせたのは驚きでもあった。だが、その後にレイソルを去らなくてはならなかった。それもかなり惜しまれる形で。やはり、そこは聞きたい。

 「あの頃の自分は…パスやアシストの能力を買われてボランチやトップ下でもプレーをさせてもらっていました。だけど、自分の得意とする形でしか良い働きができなかった。特にネルシーニョさんからの大きな期待に応えられずにチャンスを逃してしまった。自信が無かったとか、反発していたとかではなくて、今になって思うと、自分がやりやすい形にこだわり過ぎて、ネルシーニョさんが求める仕事をできずにいたんです」

 手塚にはまるで順風満帆な「エリート街道」を歩んできたかのようなイメージがあるが、彼のバイオグラフィーを構成する上で、2014年から2015年以降について触れる場合は一度手を止めることになる。アカデミーでのタイトルや年代別代表歴、プレースタイルに触れながら、「2015年レイソルアカデミーを経て、晴れてレイソルトップチームへ」…とは記せない。

 柏Uー18時代で技を磨いていた2014年の5月には「第2種登録」でトップチームに登録されていた。同年のクリスマス・イヴには同期の2選手のトップチーム昇格が発表されていたのだが、なかなか発表されない「手塚康平選手トップチーム昇格のお知らせ」。

 たまりかねたその冬、日立台の人工芝グラウンドで手塚を呼び止めて、「行き先はスペイン?ドイツ?イングランド?」などとおだててみたのだが、肩を落とし気味の手塚は「聞いてくださいよ」とこう話した。

 「そうだったらうれしいんですけどね、全然違うんです…」

 実はあるJクラブへの加入が内定寸前に破断したために「進路は未定」ということだった。

 各クラブの編成も確定し出したこの時期に放り出された格好の手塚の進路はアカデミーと深い繋がりを持っているニュージーランドの「オネハンガスポーツ」への加入。リーグ休止時には練習参加という形で日立台にも姿を見せていたが、1年間のニュージーランド留学を経験して、2017年に正式加入を果たした。

 このペースで書き続けると、また5000字を超えてしまう。ここで一度要約する。

 一見してエリートだが、ずっと運命的な悪戯に左右されてきた。「ああ見えて、手塚康平は決してヤワじゃない」ということをここで伝えたかった。

 37番のユニフォーム姿での公式撮影を終えたばかりの手塚はレイソル以降に渡り歩いた2つのクラブで何を得てきたのかをこう話す。

 「横浜では攻守の連携について多くを学んできたつもり。ずっとお世話になってきた下平隆宏監督のやり方のあとに指揮を執られた四方田修平監督は連携をすごく大切にされる監督でしたから、中盤での動き方についても、自分が得意とする形以外の部分も細かく指導を受けてきたのでアイデアの幅を広げてもらえた。鳥栖では『前へ行くこと』を求められていました。鳥栖に加入してしばらくの間はなかなかフィットできずに全く試合に出られませんでしたが、川井健太監督からは前へ行くことやボールへの関わり方、クロスのタイミングについての感覚を変えてもらえたと思います」


 馴れ親しんだ形のサッカーからまた異なる考えのサッカーへ適応できずにクラブを去った選手としては良い経験を得てきたのではないかと思った。では、その歩みの中で「何を捨てた?」と話を向けると手塚は少し言葉を探してから、こう切り出した。

 「捨てたものか…そうですね、『プライド』を捨てましたね。自分の中にあった余計なプライドは捨てなくてはいけないなと思いました。特にそれは鳥栖時代に強く感じた部分でもあります。それに気づかなければ、今こうやってここにはいないかもしれません。『4本形式の練習試合』ってあるじゃないですか?30分を4本やる形の。ある時の練習試合ではなかなか出番が来なくて、やっと自分に出番が来たのは最後の4本目。チームの若手やユースの選手たちばかりの中に自分は起用されたんです。それがどういう意味なのかは考えさせられましたし、理解はしていました。『プライドがどうとか言っている場合じゃない』という意味ですごく重要な経験でした」

 鳥栖との対戦で目を引いたのは1試合を通じた守から攻のハードワーク。私たちが知る手塚のイメージよりも運動量が多く、ピッチの広域をカバーする選手になっていたし、見た目もかつてよりだいぶシェイプされている。2つのクラブで得てきた経験や捨ててきたものたちは現在のレイソルへのフィットを早める要因にもなるだろう。

 戦術的忠誠の下、期待されるのは中盤で「違い」を作ること。守備と攻撃を繋ぐこと。そして、やはりセットプレー。

 「攻撃のイメージはあります。前線の選手たちは強度もあって、能力が高い選手ばかりですから、素早く背後を取るようなイメージがあります。そういう選手たちを活かしていくのは自分の仕事の一つだと思っていますし、自分の場合はセットプレーでも力になれるはず」

 古賀太陽や犬飼智也とボールを操り、白井永地や戸嶋祥郎らとの連携から攻撃の入口を作り出す姿は容易にイメージができる。マテウス・サヴィオや細谷真大、木下康介といった鋭い動き出しを持つアタッカー陣にどのようなボールを放つのかも気になる。右サイドを駆け上がる関根大輝に質の高いボールを送るだろうし、制空権を取れる垣田裕暉へのピンポイントクロスの画も浮かぶ。誇らしき異端・島村拓弥との間でお互いの周波数が合い出したら、もう楽しみしかない。

 そのあたりはまた今後の見どころとして見つめることとする。最後に「新しいチームはどう?」。そんな話を向けてみた。

 「レイソルへ帰ってきて思ったことはレイソルアカデミー出身の選手たちがアカデミー組っぽくないことですよ。フィジカルも強くて、ずいぶん変わったなー!って(笑)。みんな個性的で、自分たちの世代とは全然違うタイプの選手が増えましたね。すごく良いことだと思いますけど、後輩たちにも負けてられないなって。この前、(立田)悠悟に言われましたよ。『久しぶりにザ・レイソルアカデミーの選手を見ましたわ、キックが綺麗で上手いね』って」

 そして、「これからどのような選手になるイメージがある?」と問い掛けた。

 「これからの自分か…やっぱり、ポジションもそうですし、チーム内での年齢的もチームの中心となってやっていかないといけないと思っています。キャプテンの太陽や自分というのは本来、声をガンガン出してチームを鼓舞して引っ張っていくタイプの選手ではないかもしれませんが、今後はそういった振る舞いが求められるし、やっていかなくてはという気持ち。プレーでの存在感も求められる。ボランチとしてチームを動かして、まとめていくことだって必要になってくる。『これから、どんな選手に?』と言われれば、『どんな監督さんにも選ばれて起用される選手』というのはチームにとってすごく大事。そういう選手こそが『良い選手』。万能で、どんな能力も備わっているということですからね。自分の今後の理想像はそこにありますね」

 この4年半、レイソルサポーターや記者たち、あるいは選手の中からも「手塚康平待望論」は聞かれてきた。もう隠しようがない、復帰発表のタイミングでインタビューを依頼した私もその1人だ。そして、その多くの声は無事回収され、また、その反響は大きかった。

 はっきり言って、ハードルは上がっているが、当の手塚はすごくちょうどいいメンタルの状態にあるように映った。

 「レイソルサポーターのみなさんにそう思ってもらえていたらすごくうれしいですし、自分の励みになる。『手塚が戻ってきてくれてよかった!』って思ってもらえるようにチーム貢献しなくてはという気持ちは自分の中に強くある。ガンバ大阪戦はすごく大事な試合になりますね。またミドルシュートのチャンスが来たら?そんなにうまくいきますかね?最近打っていないので分かりません(笑)」

 遅くなってしまったが、「康平、おかえり!ずっと待ってたよ!」という気持ちを表現したかった。そんな気持ちと、「康平がやるべきことはまだまだたくさんある。分かるよね?そう、たくさん。頼むよ!」という気持ちだ。

 大好きなシーンがある。

 レイソルゴール裏を前にしたFKのチャンス。

 距離は25mほどだったか。

 スタジアムには手塚のチャントが響き渡る。

 もちろん、キッカーは手塚。

 シュートの行方は悔しいものだったが、あの続きをたくさんの人たちが待っている。

(写真・文=神宮克典)