「責任」という手土産を片手に ―田中隼人 

レイソルコラム

 DF田中隼人選手はU‐20日本代表として3月1日よりウズベキスタンで開催された「AFC U‐20アジア杯」へ出場した。


 12日には大会準々決勝・ヨルダン戦に快勝し、今年5月にインドネシアで開催予定の「20歳以下のサッカーW杯」U‐20W杯本戦の出場権をその手に掴んだ。柏レイソル所属選手としては2017年の中山雄太選手(ハダースフィールド)以来の偉業達成となる。


 大会では中国とキルギス、サウジアラビアとのグループリーグ3試合、そして、本戦出場権を懸けたヨルダンとの準決勝で左CBを務めた田中選手の躍進を支えたのは「託された責任」だという。


 「出場権獲得を目標に長い時間を掛けてこのチームに関わらせてもらってきて、今大会は副キャプテンという立場もあり、今までとは少し違う『責任』を感じていました。『大会を優勝で終えてアジアの頂点を取ってW杯』という目標を果たせず悔しいですが、最低限の責任を果たせたことに今はホッとしています」


 予め決まっていた大会ではあったが、田中選手自身もJ1リーグ開幕直後の2月中旬からレイソルを離れ、U‐20代表の活動に専念することに対して迷いが生じたこともあった。しかし、「U‐20W杯出場」という田中選手の長年の夢をレイソル首脳陣が尊重する形で、今回の代表合流を承諾した経緯があるという。


 「開幕直後のこの時期に代表へ送り出してくれたネルシーニョ監督やクラブ、たくさんの激励をいただいたサポーターへ対しての感謝を忘れずにプレーしなければという気持ちが強いです。自分の夢や要望を尊重してもらえた以上は情けない結果を持ち帰るなんて許されないという責任も感じています。必ず良い結果を出してレイソルに帰ってきます」


 そんな強い決意を胸にウズベキスタンへ発ち、国内とは異なる相手や環境下で、また一歩夢へ近づく中で、田中選手が出会ったのは「勝利のためのDFとしての責任とは」という問いに対する1つの答えだった。田中選手は大会の中で自身の多彩な能力や魅力を示威するよりも、点差や展開に関わらず、重心を自陣に置きDFとしてのプレーを続けたという。


 「相手のリーチやスピード、ドリブルのリズムも日本では味わえないものがあり、リーグ戦とは異なる状況での戦いは良い経験になっている。どんな形でも『勝ち』が欲しい中での試合ではパスなど自分の特長を出すよりもゴール前での守備が求められている。こだわりよりも勝ちに繋がる行動やプレーをしたい」


 かくして、本戦出場を決めた田中選手。夢を叶える一歩手前の地点から次に見据えるターゲットは「花の都」だという。


 「もちろん、パリ五輪への思いは自分の中にありますし、そのために代表で戦っているつもり。J1での出場機会を増やせれば、『パリ五輪世代』としても必ず目に止まってくるはずです。U‐20W杯にこだわってきたのはその先にパリ五輪があるから。どちらも自分の中で大切な目標ですし、これからはレイソルのために全力で戦い、結果を出していきたいです」


 そんな田中選手は帰国の翌日にはレイソルの広島遠征に加わり、J1リーグを戦っていた。思えば、かつての中山選手も海外遠征や国際大会出場への強いこだわりを見せ、様々な経験を手土産に帰国するたび、時差もままならぬ身でJ1での戦いを繰り返してたくましく成長していった。田中選手もまたその道をゆくのか、新たなストーリーはもう封切られている。


(写真・文=神宮克典)