K太せんせい

K太せんせいの「放課後の黒板消し」

K太せんせいの放課後の黒板消し 60 

文学の窓〈冬〉

 清少納言の『枕草子』第一段は有名な「春はあけぼの」から始まります。「春は、夜が明け始めるころ(がよい)」という意味でしたね。では皆さん、まもなく訪れる〈冬〉は、どんな時間帯がよいと書かれていたか、ご記憶にありますか。

 そう、「つとめて=早朝」です。「雪の降りたるは言ふべきにもあらず(雪の降った朝は言うまでもなく)、霜のいと白きも(降りた霜がとても白いときも)、またさらでもいと寒きに(またそうでなくてもとても寒い朝に)、火など急ぎおこして(火などを急いでおこして)、炭持て渡るも(炭火を部屋から部屋へ持って歩くのも)、いとつきづきし(たいへん冬の朝に似つかわしい)」。 

読むだけで張り詰めた冬の冷たい空気、雪の白さと風情のある様子が目に浮かびますね。流石、千年以上愛されてきたエッセイです。

 さて、冬の景色と言えば「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった・・」で始まる川端康成の『雪国』も有名ですが、これよりも愛されてきたのが、ご存じ『忠臣蔵』』です。

元禄十五(1702)年十二月十四日、赤穂藩の浪士四十七士が主君である浅野内匠頭の仇討ちのため、本所松坂町にある吉良上野介邸に突入した史実。

大石内蔵助を筆頭とした忠義の義士が静まりかえった残雪の街を進む姿は、年末ドラマとして何度も描かれ、私たちは胸を熱くしてきました。切腹という最期を迎えることを知るゆえに、毎年のように目頭を熱くするーー、これも冬の風物詩です。授業では内匠頭の辞世とされる句を紹介します。

「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春のなごりを いかにとやせん」。

風の散る桜に重ねらた命。春のなごりという言葉に込められた内匠頭の無念を感じる時、私たちの思いは四十七士と一つになります。見事仇討を果たした後、堂々と歩む残雪の道は、永遠に私たち日本人の心を熱くする、師走の心象風景ではないでしょうか。

■K太せんせい

現役国語科教師。教育現場のありのままを伝え、読書案内なども執筆する。