羽前利行
尋常小学校で6年間の義務教育を終えただけの母。叔父たちの話によれば優秀だったという母のことだから、事情が許せば、上の学校へ進学して勉強したかったことでしょう。でも、進学はしなくても、躾に厳しく、教育熱心だったことには、僕たち兄弟3人は今も感謝しています。
僕の郷里・山形では、母親を『かあちゃん』と呼びましたが、母は自分が育った田舎の呼び方『オカチャ』と呼ばせました。私もこのオカチャという呼称が今でも大好きです。
オカチャへ
僕たち兄弟3人を次々と生んで、誰の助けもない子育ては、さぞや大変だったことでしょう。オカチャの、子どもたちへの将来の夢は医者に坊さん、弁護士でしたね。その教育ママ振りは微笑ましいばかりですが、上の兄さんだけは期待に答えて医師になり、74歳の今も現役の産婦人科医として活躍していますよ。福祉施設に勤務する三男は一昨年71歳で退職、民間企業に就職した次男の僕も無事に勤め上げ、一昨年退職したことを報告します。3人ともオカチャの亡くなった歳を超えました。
父さんは笑ってばかりいる穏やかな人柄でしたが、オカチャは躾が厳しく『いいか!嘘はだめだぞ、弱いものいじめもだめだ、卑怯者は絶対に許すなよ』と念仏の如く唱えていましたねえ。オカチャの励ましのおかげで、僕ら3兄弟は一生懸命教えを守り、勉学にも励みました。
兄が小学6年、私が小学4年、弟が小学3年の時に、オカチャは肝臓の手術を受けましたね。成功率が10㌫ぐらいの大変むずかしい手術だったらしいのですが、手術前には僕たち3人に対し、上述の希望を再度告げて『もう会えないかも知れないが、オカチャとの約束だからね。教えを守り、これからも頑張るのだよ』と言って手術に臨んだ日のことは忘れません。
幸い手術は成功し、オカチャはその後元気を取り戻しましたね。その時に兄さんは『俺は絶対にオカチャの執刀医、秋山先生の様な外科医になる』と固く決意した様です。その後、健康維持に持ち前の頑張りで努力をしていたオカチャでしたが、手術の時の輸血が原因でC型肝炎から肝がんになり、70歳の若さで亡くなってしまったことは、今も悔やまれてなりません。
3人共に、周囲から『正義感が強すぎる』とよく言われますが、愛情たっぷりの励ましと、オカチャの厳しい躾のお陰でまっとうに暮らし、周囲からの信頼を得て生きてこられたことは、オカチャのおかげです。『卑怯も嘘も弱い者いじめもダメ!』。今も僕たち家族の大事な教えになっていますよ。