日本大学松戸歯学部薬理学講座 教授 三枝 禎(さいぐさ ただし)先生
ペニシリンと聞くと「あー、青かびから見つかった?」とおっしゃる方は少なくないかと思います。〇〇シリンという名前のクスリはペニシリンの仲間。歯科・口腔外科で服用を勧められることもあるでしょう。
ペニシリンとその作用機序
ペニシリンという名前は、青かびの属名のPenicilliumにちなんでいます。ペニシリンはベータ(β)ラクタム環という環状構造(図)が化学構造中にあるβラクタム系のクスリのひとつ。
このグループのクスリは細菌が細胞壁を作るのに使う酵素のトランスペプチダーゼの働きを抑えます。その結果、細菌は生存に必要な丈夫な細胞壁を作れなくなります。これがペニシリンの殺菌作用の仕組み(作用機序)です。
感染症の原因となる細菌の細胞を選択的に攻撃する‟Magic bullet(魔法の弾丸)”と称賛されたペニシリン。本邦で第二次世界大戦中に精製されたものは緑色であったので、ペニシリンは碧素(へきそ)とも呼ばれました。

ところで「青かび」のはなしですが…

ペニシリンの発見のもとになった「青かびの逸話」は、科学史の読み物によく取り上げられています。どの作者もうまくいかなかったように見えた出来事が成功につながる例としています。
フレミング(1881-1955)は英国スコットランド生まれの医師(写真)。1928年のこと、ブドウ球菌の培養実験中に培養に使っていた容器の中に青かびが生えていました。これは実験としては失敗ですが、フレミングは青かびの周囲では細菌が増えていないことに気づきました。青かびという小さな生物からほかの小さな生物(細菌)の発育を妨げる物質が出ているのでは?という彼の考えはペニシリンのほか、他の科学者による数々のantibiotics(抗生物質: anti-(抗)+biotics(生命体))の発見につながりました。
自然界で発見されたり人工的に合成されたりした多くの抗生物質は、細菌などの微生物による感染症の治療に役立っています。フレミングは、ペニシリンの量産を可能にしたフローリーとチェーンと共に1945年にノーベル医学生理学賞を受賞しました。フレミングの素晴らしいひらめきのきっかけに、夫人の出身地のギリシャでは皮膚に傷ができると腐ったパンに付いた青かびを擦り付けて治すという言い伝えを知っていたことも役立ったかもしれないという推理もあります(楽しい薬理学―セレンディピティ― 岡部進著 南山堂)。フレミングは抗菌物質のリゾチームを研究していたほか、第一次世界大戦での従軍において戦傷に伴う多くの死に直面した痛切な体験から化学物質を用いた感染症の治療を希求していたことも知られています。
成功の秘訣は?
歴史を振り返ると現代の薬物治療の基盤となる発見に遭遇したフレミングのような医学者には、偶然を大きな恵みにつなげるきっかけがあったことに気づかされます。19世紀のフランスの化学者・細菌学者のルイ・パスツールが遺した「発見のチャンスは、準備された心を持つものだけに微笑む」という言葉は、医療現場だけでなく日常生活のあらゆる場の課題の解決のヒントになりそうです。
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