(東葛まいにち2019.8.28掲載)
前回のリオデジャネイロオリンピックに出場したセントラルスポーツの寺村美穂選手は、毎日早朝から習志野市にあるセントラルフィットネス谷津のプールで練習に励んでいる。2020年は、2度目の五輪出場に期待も膨らむ。
幼い頃から才能を発揮
「オリンピックには魔物がいる」―よく言われる言葉だ。
今から3年前の2016年、オリンピック競泳日本代表としてリオデジャネイロの地に立った寺村美穂選手は、夢に見た舞台で特別な空気を感じたという。
200㍍個人メドレーで挑戦したオリンピック。予選を通過し、臨んだ準決勝で9位となり、あと一歩決勝進出に及ばなかった。
寺村選手は、「絶対に勝つ!という強い覚悟ができていなかった。オリンピック出場が、全ての目標でした。でも、オリンピックで勝てる人は、出場はあくまでも通過点なんです」と振り返る。
寺村選手は流山市生まれ。「私が幼い頃は、まだ森があって自然が豊かでした。おっ母さんというスーパーに母と買い物に行っていたことが懐かしいです」。
3歳年上の姉の影響もありセントラルスポーツで水泳を始める。水が大好きでとにかく泳ぐことが楽しかった。
「小学生で出場した全国大会で、女子の招集に間に合わず男子と一緒に泳ぐことになり、その組の中で1位でした。でも、ターンが違反で失格でした」と大らかに笑う。
小3でジュニアオリンピックに初出場、高校まで毎年出場していたというから幼い頃から才能は突出していた。
寺村選手のターニングポイントは、流山東部中学2年の時。それまで、平泳ぎの選手だったが、膝を痛めたことで個人メドレーに転向した。バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形の4泳法で泳ぐ種目で、高い総合力が求められるのが個人メドレーだ。選手ごとに得意種目が異なるため、抜きつ抜かれつする見応えのあるレースでもある。
寺村選手は、種目転向した翌年いきなり2分14秒02という中学生新記録をマーク。これから個人メドレーでやっていくという大きな自信に繋がった。
勝負師としての強い覚悟
千葉商科大付属高校へ進学、3年の時ロンドンオリンピック選考会(日本選手権)で2位に入賞したものの、オリンピックの派遣記録にわずか0・5秒届かなかった。悔しさを感じると共に自分はオリンピック出場を狙えるレベルにいるんだと心の底から実感し「4年後のオリンピックは絶対行こう!」と心に誓う。
寺村選手は高校、大学時代に2度、膝の手術をしている。再び水泳ができるかという不安や葛藤と闘いながら進んできた。くじけそうな時に同じスイマーだった姉からかけられた言葉が励みになったと言う。
「姉は『私が美穂の応援団第一号だからね!』って言ってくれたんです。そして緊張する私に『自分らしく』って書いてあるマスコットのストラップをくれました」
2016年に出場したリオデジャネイロオリンピック選考会。「今でも覚えているのは、スタート前に手が震えていたこと。その後、最後の自由形まで記憶がなかったです」ケガから復帰し、2分9秒87という自己ベストタイムをたたき出し、リオへの切符を手にした。
寺村選手の強みは、前半からの積極的なレース展開。バタフライ、背泳ぎでグングン飛ばし、後半の平泳ぎ、自由形で粘りを見せる。今後は、後半で持ちこたえられるスタミナづくりが課題だ。来年の東京オリンピック出場に向け、『強い覚悟』で出場権獲得を狙う。
「勝てないのは、メンタルが弱いということではなく絶対勝つんだという強い気持ちが足りないからです。今度は、アスリートとして勝負師として勝ちを取りに行きます」と力強く語った。
(文=高井さつき/写真=高井信成)
●てらむら みほ/1994年生まれ、24歳。2009年、200㍍個人メドレーで2分14秒02の中学新記録を樹立。2016年リオオリンピック出場。自己ベストタイム2分9秒86。セントラルスポーツ所属。166センチ