先月行われた学園祭でのこと。学園生によるお笑いのステージがありました。その中の漫才で「オカマ」というワードが出て、揶揄するような表現がありました。一般のお客さんもいる、大賑わいの会場には顔をしかめている人、大ウケしている人さまざまでした。
自分の心と体の性別が一致しない「性同一性障害」を含めた、性的マイノリティーの人はおよそ15人に1人の割合でいるそうです。環境との軋轢、性自認の葛藤などのストレスから、うつなどの精神的病を抱える人も少なくありません。ゆうびにはさまざまな事情で学校や社会で生きづらさを抱えた子ども・若者が集まり、そのままの自分を認め、豊かな人生を創ろうと支援をしています。そんなゆうびで、性的マイノリティーのことが笑いのネタになっているということに傷ついた人がいたのではないか…悔やみきれません。漫才をした子たち一人ひとりは、繊細で心の優しい子たちです。障がいのある人、弱い人に対し自然な慈しみを持っており、もし実生活の中で彼らの傍らに性的マイノリティーの人がいたら、馬鹿にしたり差別したりすることは決してないでしょう。
では、なぜ「お笑い」となると感覚が変わるのでしょうか。差別問題に詳しいキム・ジヘ氏によると「笑いには物事を軽くし、普段触れにくいことを扱いやすくする性質がある」と言います。軽いから、社会風刺などに力を発揮する半面、誰かが傷つくことでも、「ちょっとした冗談なんだから真剣に怒る方がおかしい」と捉えられ流されがちです。笑いの向こう側に、立場の弱い人がいないか、常に想像する力が必要です。
後日、漫才をやった学園生が話をしたいとやってきました。自分の考えが足りなかったと反省していると共に「お笑いをやるのをこれでやめにしたくはない。どういうことが差別につながるか一緒に考えてほしい」ということでした。若者たちと考え続けていこうと思います。
(参考文献 キム・ジヘ『差別はたいてい悪意のない人がする 見えない排除に気づくための10章』大月書店2021年)。
☎04・7146・3501 FAX同7147・1491(NPOゆうび小さな学園 杉山麻理江)