「球技が得意ではなかった私に、母親が『長距離ならできるんじゃない?』と言ったのが陸上競技を始めるきっかけでした」と話す壬生倉さん。
他の競技と比べ、「よーいドンでスタートして一番を決める」というシンプルさに魅力を感じた。東葛駅伝は第63回(6区)、64回(7区)、65回(1区)と三年連続で出場した。
「沿道を埋め尽くす人垣が続くコースを、学校の代表として三回走れたことは誇りに思います。一、二年時は走ることに必死で記憶はあまり残っていないです。三年時は主将として挑み、普段はあまり褒めない今井洋先生(当時)から『よくやった』と言ってもらいました。今でも覚えているくらい嬉しかったです」
◆地元の鎌ヶ谷西高校へ進学
箱根駅伝を走った実績を持つ滝田輝行先生が鎌ヶ谷西の顧問をしており、滝田先生の指導の下で強くなりたいと考え、進学を決めた。
「滝田先生は、練習やレースで失敗することがあっても『何がいけなかったのか、次はどうするのか』を走り終わった後すぐに伝えて下さり、私の考えと先生の考えに大きなズレが生じることなく走ることができたと思います」
◆箱根駅伝への憧れ、中央学院大学へ進学
個人の成績では5000m県大会進出が最高成績だったが、箱根駅伝を走りたいという思いがあり、常連校の中央学院大へ進学した。入学前に規定タイムを突破できず、最初は仮入部としてスタート。その後、高校時代に不安を抱えていた腸脛靱帯を痛めてしまい、期間内に入部規定タイムの突破が難しいと判断し、川崎勇二監督に自ら退部を申し出た。
「走ることは好きでしたので、陸上競技をやめることは考えていなかったです。大学の陸上サークルに入り、ケガの完治後は、講義が入っていない日や駅伝部が練習を行っていない時間帯にグラウンドを借りて練習をしました。各地の記録会やロードレースは、『中央学院大AC』という所属名で出場していました」
◆今後の目標
大学卒業後は学校法人中央学院の職員として働いている壬生倉さん。仕事終わりにはジョギング、土日は近隣の競技場で練習するなど努力を続けている。
「高校、大学時代は周囲の人に恵まれていましたが、競技者として満足する結果を残すことができなかったです。その分、心のどこかで『まだタイムを伸ばせる』という気持ちと、職場で陸上部の生徒が走る姿を見て、『高校生に負けたくない』という気持ちがモチベーションになっています」
目標は5000mで自己記録(15分17秒20)を更新すること。もう一つは、身体が動かせる間に地元の鎌ヶ谷新春マラソンで表彰台の真ん中に立つこと。
自身の鎌ヶ谷新春マラソンの過去最高順位は、10kmは5位(2013年、2016年)、5kmは3位(2015年、2019年)。挑戦はまだまだ続きそうだ。
(取材・写真=さとる)