ヒット・ザ・スイッチ ー田村蒼生(筑波大学蹴球部)

レイソルコラム


「加速装置」

 踵にそうあしらわれた白い世界に唯一のスパイクで一気に加速、勢いよく相手陣内へ飛び込んでゴールネットを揺らしていくドリブル小僧。柏レイソルアカデミー内の各年代にいる「ドリブルキング」の中でも、相手の振り切り方やドリブルのステップから伝わる向こうっ気の強さ、仕掛け所の勘の良さは指折りの選手だった。

 また、少年時代から大人に馴れていて、頭の回転も良い。おまけに負けず嫌いだから、こちらが何か戯言を言えば、絶対に応戦してくるタイプ。だから、「ドリブル小僧」や「ドリブルキング」というよりも、「ドリブルが上手い”小僧”」というニュアンスが適切だったかもしれない。その後、育成年代では10番を背負って、中盤での適性も見せつけていくことになるのだが、随所で見せていたドリブルの質を下げることはなかった。

 そんな田村蒼生も筑波大学蹴球部の最上級生。

 この7月10日の第104回天皇杯3回戦・柏レイソル戦は田村にとっては日立台でレイソルと戦うのは2回目となる。

 前回の対戦は2022年6月1日。第102回大会2回戦だった。田村が生み出した試合終盤にあった最大のチャンスシーンは今でも目に焼き付いている。

 田村はスピードとフィジカルで鳴らす大南拓磨(現・川崎)を向こうに回して、左サイドからドリブルを仕掛けて大南を置き去りに。完全に田村の間合いだった。右足のインスウィングから放たれたシュートはファーサイドの隅を捉えたが、GK松本健太がこのシュートをこともなげにセーブ。

 私自身、どのスタンスでどの感情と向き合えばいいのか気持ちが彷徨うほど素晴らしい瞬間だった。

 試合は高橋祐治(現・清水)のミドルシュートが試合を決めて、レイソルが1ー0で筑波大に辛勝した。

 試合後、田村は泣いていた。肩を震わせる田村を筑波大のチームメイトや鵜木郁哉らがなだめるが、人目を憚らず、おんおんと泣いた。

 それから数十分後。筑波大を代表して、ややよそゆきの佇まいで会見場に現れた田村に質問を投げ掛けた。

 「今日は『勝てる』と思っていたし、全員が自信を持って120パーセントの…いつも以上の力を発揮することができていたと思います。結果的に負けてはしまいましたが、今後に繋がる試合ができた。個人的にはレイソルに勝ちに日立台へ来ていたので、今は悔しいです」

 会見場の最後部にいた私にまで伝わるほどの悔しさを滲ませた田村に私が聞きたかったのはただ一つ。

「…なんで泣いたのですか?」

 マイクを手に、理由も明らかな野暮な質問をする。その最中、目が合ってしまい、ついついお互いに吹き出してしまったのだが、田村は改めて呼吸を整えて涙の訳をこう説いた。

 「全然、泣くつもりはなかったですけど、試合中も勝つことだけを考えて戦っていましたし、レイソルに勝てる自信が自分にはあったので…悔しかったですし…これだけたくさん観客が集まっている中で、レイソルに負けてしまったことが悔しくて泣いてしまいました」

 田村の目は再び真っ赤に。声は次第に震えていった。呼吸を整える必要があった理由はなんとなく想像できた。

 あれから2年が経ち、筑波大は再び柏レイソルと対戦する。

 大会のラウンドは前回よりも1つ上がっているし、ここまでの勝ち上がりは簡単なものではなかった。

 「流通経済大学に明治大学、町田ゼルビアと戦ってここまで来ることができました。シーズン開幕前から、『天皇杯』に対するモチベーションはチームで共有して臨んでいます。この大会は自分たち大学生にとっては特別な意味を持つ大会で、『J1撃破』という目標はこの頃からありました。地区予選の流大戦に勝ち切ってから、トーナメント表を見た時は、まず『明治か!』と思いましたけど、すぐに『町田』の名が目に飛び込んできましたし、『柏レイソル』の名もすぐに確認して、『これは勝ちたい…絶対に』と。町田戦は応援部員たちの熱量がものすごくて、整列の時から鳥肌が立っていたくらいで。自分もチームも試合中は必死に戦っていました。そんなたくさんの人たちのおかげで町田に勝つことができました。自分たちも自信を持って最後まで戦えましたし、勝つためにみんなで戦って、良い結果を残せたことは良かったです」

 そして、戸田伊吹ヘッドコーチと同じようにこの「ホームカミング・マッチ」への思いも教えてくれた。

 「自分はレイソルで育ちましたし、今春のキャンプにも参加させていただく機会をもらいました。選手もスタッフのみなさんもよく知る方々ばかり。もう一度、日立台のピッチに立てることは小学4年生からアカデミーでお世話になっている自分にとっては特別なことに変わりはありません。今から試合がすごく楽しみですが、『自分の中にある思い』というものを思い切りぶつけたいと思いますし、チームで、自信を持って、レイソルを倒しにいくつもりです」

 1年生の頃からメンバーに入り続けた田村。一見して充実した大学サッカー人生を過ごしている…ようには見える。だが、ある時こんな話をしてくれた。

 「アカデミーには9年間いましたから、自分がどんな選手なのか各年代の監督やコーチたち、チームメイトにも知ってもらえていた環境から筑波大へ来て、新しくゼロから自分のことを知ってもらう難しさはありました。新たな環境の中で自分のプレーで示していく難しさが。周りからは『試合出てるじゃん』と言ってはもらえる印象を残してはいても、結果を残せていない苦しさと常に戦ってきた。その苦しみがありました」

 毎年優れた選手たちが集まる環境の中で勝ち抜き、この4年間、主要選手の1人として多くの出場機会を掴んできた。関東大学選抜チームにも選抜された経験もある。ゼロから積み上げたそれらの活躍の報が届いたのか、「最愛のクラブ」から呼び寄せられての練習参加の機会も得た。昨年はリーグのベストイレブンに選出され、チームはリーグ優勝。2度もこの大会でこの対戦を経験できる選手なんて今後もなかなかいないだろう。誇っていい見事な足跡だ。

 しかし、まだ田村の元へ「吉報」は届いてはいない。「夢」はまだ夢のまま。これまで以上の強い歩みと必要な何かが足りていないようだ。だが、それが何かをを田村は知っている。田村は2年前、赤く充血した目でマイクを握り、こんな話をしてくれたからだ。

 「プロサッカー選手になるために必要なのは、『パフォーマンスの内容よりも、結果』だと思うので、今日は『プロの力』を見せつけられた結果になってしまいました。また大学リーグで力をつけたい」

 今の自分に何が足りていないか、何をか言わんやというシチュエーションで迎える2回目の「天皇杯・日立台・レイソル戦」ー。

 結果がすべての世界で再びこの舞台へ戻ってきたことが何より素晴らしいし、今回の凱旋を「自分はいつも『ここ』から始まるんだ」と何かの力に変えてくれたらと願う。再び感情を彷徨わせてくれたって構わない。その際には両手を耳に当ててくれていたらうれしい。

 田村蒼生よ、スイッチを押すなら今だ。

 スイッチ?何のって?

 夢への「加速装置」のスイッチに決まっている。今がその時だ。

(写真・文=神宮克典)